現代文対策問題 23
本文
私が勤めるデザイン事務所の窓からは、隣にある古い教会の庭がよく見える。その庭の片隅に、一本の大きな桜の木が立っていた。春になると、それは見事な花を咲かせ、私たちの目を楽しませてくれた。しかし、今年の夏、記録的な猛暑が続いたせいか、桜の木は日に日に元気をなくし、葉を茶色く枯らしていった。
庭師が何度も訪れ、土を入れ替えたり、薬を散布したりしていたが、桜の木の衰弱は止まらなかった。私たちは、事務所の窓から、ただ心配そうに見守ることしかできない。ああ、今年の春が、あの桜を見る最後だったのかもしれない。そんな諦めに似た空気が、同僚たちの間にも漂い始めていた。私もまた、桜の木にもう一度花を咲かせる力など残っていないだろう、と半ば確信していた。
季節は流れ、冬が来た。桜の木は、すっかり葉を落とし、枯れ木同然の姿で、寒空の下に立っている。その姿は、痛々しくさえあった。
そして、春。私たちは、ほとんど期待せずに、窓の外を眺めた。すると、どうだろう。あの枯れ果てたように見えた枝の、その先端に、数えるほどではあるが、健気な薄紅色の花が、確かに咲いているではないか。満開の時のような華やかさはない。だが、その一つ一つの花が、過酷な夏を耐え抜き、厳しい冬を乗り越えて、命を繋いだ証のように思えた。同僚の一人が、「すごいな」とぽつりと呟いた。その声は、驚きと、そして深い敬意に満ちていた。
【設問1】傍線部①「私もまた、桜の木にもう一度花を咲かせる力など残っていないだろう、と半ば確信していた」とあるが、この時の「私」の心情の説明として最も適当なものを、次の中から一つ選べ。
- 桜の木が枯れていく様子に、自然の摂理の厳しさを感じ、冷静にその運命を受け入れている。
- 庭師の努力が報われないことに憤りを感じ、もっと効果的な対策をすべきだと考えている。
- 桜の木が枯れることで、事務所からの美しい景色が失われることを、利己的に嘆いている。
- 様々な手が尽くされても衰弱が止まらない状況を目の当たりにし、桜の回復を絶望視している。
【正解と解説】
正解 → 4
- 1. 「諦めに似た空気が漂い始めていた」とあり、単に「冷静に受け入れ」ているのではなく、もっと感情的な落胆が含まれています。
- 2. 庭師への「憤り」や、対策への提言といった感情は本文から読み取れません。むしろ、無力感を感じています。
- 3. 「利己的に嘆いている」というよりは、桜の木そのものの命運を心配していると読むのが自然です。
- 4. 「庭師が何度も訪れ」ても「衰弱は止まらなかった」という事実から、回復はもはや不可能だろうという「絶望視」に至っています。「半ば確信していた」という言葉が、その強い諦めの気持ちを表しています。
【設問2】傍線部②「数えるほどではあるが、健気な薄紅色の花が、確かに咲いている」光景が、「私」や同僚たちに深い感銘を与えたのはなぜか。その理由の説明として最も適当なものを、次の中から一つ選べ。
- 予想を裏切る花の美しさが、仕事で疲れた心を癒やし、純粋な美的感動をもたらしたから。
- 絶望的な状況を乗り越えて、なお生きようとする生命の力強さに、心を揺さぶられたから。
- 庭師の懸命な努力が、ついに報われたことへの安堵と、専門家の技術に対する称賛の気持ち。
- 自分たちの応援が桜の木に通じたのだという一体感と、奇跡を目の当たりにした興奮。
【正解と解説】
正解 → 2
- 1. 感銘の中心は、花の「美しさ」というより、そのあり方です。「健気な」という言葉にそのニュアンスが表れています。
- 2. 一度は「枯れ木同然」になり、誰もが諦めていた「絶望的な状況」から、それでも花を咲かせた桜の姿。それは、逆境に屈しない「生命の力強さ」の象徴です。「過酷な夏を耐え抜き、厳しい冬を乗り越えて、命を繋いだ証」という一文が、この解釈を裏付けています。「すごいな」という同僚の呟きも、この感動から来ています。
- 3. 庭師の努力も一因かもしれませんが、感動の焦点は、桜の木そのものが持つ生命力に当たっています。
- 4. 「自分たちの応援が通じた」という自意識は本文にありません。あくまで、桜の木の力に対する畏敬の念です。
【設問3】本文の構成についての説明として、最も適当なものを次の中から一つ選べ。
- 桜の木の再生と、それを見守る「私」たち人間の再生への願いを重ね合わせて描いている。
- 春から夏、冬、そして再び春へと至る季節の移ろいに沿って、桜の木の運命と人々の心情の変化を描いている。
- 自然の美しさと、それを破壊する近年の異常気象の問題を対比させ、環境保護の重要性を訴えている。
- 一本の桜の木を巡る、人間たちの様々なエゴイズムや思惑のぶつかり合いを、冷徹な視点で描いている。
【正解と解説】
正解 → 2
- 1. 桜の木は再生しましたが、「私」たち人間が再生すべき問題を抱えていたわけではありません。
- 2. 物語は、春の美しい桜の記憶から始まり、夏の衰弱、冬の枯れた姿、そして再びの春の開花へと、「季節の移ろい」を時間軸として構成されています。それに伴い、「私」たちの心情も、楽しみ→心配→諦め→敬意、と変化しており、全体の構成を的確に説明しています。
- 3. 「環境保護の重要性」を訴える社会的なメッセージが主題ではありません。あくまで、一つの生命のあり方から受ける感動が中心です。
- 4. 人々は桜を「心配そうに見守」っており、「エゴイズムや思惑のぶつかり合い」といった対立構造は存在しません。
【設問4】本文の内容と合致しないものを、次の中から一つ選べ。
- 桜の木は、夏の猛暑によって、ひどく弱ってしまった。
- 「私」たちは、桜の木が再び花を咲かせることを、強く信じて待っていた。
- 春に咲いた桜の花は、満開の時と比べて、ごくわずかな数だった。
- 桜の木の世話をするために、庭師が何度も訪れていた。
【正解と解説】
正解 → 2
- 1. 「記録的な猛暑が続いたせいか、桜の木は日に日に元気をなくし」とあり、合致します。
- 2. 「ああ、今年の春が、あの桜を見る最後だったのかもしれない」「私もまた、桜の木にもう一度花を咲かせる力など残っていないだろう、と半ば確信していた」とあり、「強く信じて待っていた」わけではありません。明確に間違いです。
- 3. 「数えるほどではあるが」という記述と合致します。
- 4. 「庭師が何度も訪れ、土を入れ替えたり、薬を散布したりしていた」とあり、合致します。
語句説明:
衰弱(すいじゃく):衰えて弱ること。
健気(けなげ):弱い者や小さい者が、困難に負けずに懸命に振る舞うさま。心を打つさま。
敬意(けいい):相手を尊び、うやまう気持ち。