現代文対策問題 12
本文
高校の吹奏楽部で、私はクラリネットを吹いていた。三年間、来る日も来る日も練習に打ち込んだ。特に最後のコンクールは、私たちにとってすべてだった。結果は、銀賞。目標としていた金賞には、一歩届かなかった。表彰式で涙を流す仲間たちの中で、なぜか私だけは、不思議と乾いた気持ちで、ホールの天井を眺めていた。
燃え尽きてしまったのかもしれない。あるいは、自分の実力の限界を、どこかで悟ってしまったからかもしれない。卒業後、私がクラリネットを手に取ることはなかった。楽器はケースに入れたまま、部屋の隅で静かに埃をかぶっていく。それでいいと思っていた。
先日、実家の押し入れを整理していると、その楽器ケースが目に入った。十年ぶりに、私はケースの留め金を外した。楽器は、現役だった頃と変わらない黒い艶を保っている。リードを取り付け、おそるおそる息を吹き込んでみる。思ったより、ちゃんとした音が出た。それは、決して上手くはない、ぎこちない音。だが、その音色を聴いた瞬間、忘れていたはずの感情が、胸の奥から熱い塊となってこみ上げてきた。
悔しさ、喜び、仲間たちの汗と涙。金賞が取れなかったという結果だけではない、あの三年間で得たもののすべて。私は、結果に囚われるあまり、大切なものをすべて置き去りにしてきてしまったのだ。私はもう一度、ゆっくりと楽器を構えた。今度は、誰のためでもない、自分自身のために。
【設問1】傍線部①「不思議と乾いた気持ちで、ホールの天井を眺めていた」とあるが、この時の「私」の心境の説明として最も適当なものを、次の中から一つ選べ。
- 目標を達成できなかった悔しさよりも、すべてが終わったことへの虚脱感や、自分の限界に対する諦めに近い感情が支配的だった。
- 仲間たちは泣いているのに自分だけ涙が出ないことに焦り、感情が欠落しているかのような不安を感じていた。
- 銀賞という結果に満足しており、涙を流す仲間たちを冷静に観察しながら、次の目標について考えていた。
- コンクールのプレッシャーから解放された喜びに満たされ、晴れやかな気持ちで、これからの自由な時間に思いを馳せていた。
【正解と解説】
正解 → 1
- 1. 「燃え尽きてしまったのかもしれない」「自分の実力の限界を、どこかで悟ってしまったからかもしれない」という後の自己分析が、この「乾いた気持ち」の内実を説明しています。「虚脱感」や「諦め」が、涙も出ないほどの心の状態を表すのに最もふさわしいです。
- 2. 「焦り」や「不安」といった動揺した感情は、「乾いた気持ち」という静的な表現とは少し異なります。
- 3. 「満足して」いたのであれば、その後の楽器の放棄には繋がりません。「冷静に観察」していたというよりは、自分の内面に向き合っています。
- 4. 「喜び」や「晴れやかな気持ち」であれば、もっとポジティブな表現になるはずです。「乾いた」という言葉は、感情が枯渇したような状態を示唆します。
【設問2】傍線部②「忘れていたはずの感情が、胸の奥から熱い塊となってこみ上げてきた」とあるが、この「感情」の内容の説明として最も適当なものを、次の中から一つ選べ。
- 金賞を逃したことへの、十年経っても色褪せない激しい後悔と、仲間たちへの申し訳なさ。
- 結果の如何に関わらず、一つのことに懸命に打ち込んだ日々の充実感や、仲間との絆といった、かけがえのない記憶。
- 自分の演奏技術が十年経っても衰えていないことへの驚きと、もう一度コンクールに挑戦したいという新たな意欲。
- 音楽から離れて平凡な日々を送っている現在の自分と、輝いていた過去の自分とを比較して生まれる、自己嫌悪の念。
【正解と解説】
正解 → 2
- 1. 「悔しさ」も含まれますが、それだけでなく「喜び、仲間たちの汗と涙」と続くため、「後悔」や「申し訳なさ」だけでは不十分です。
- 2. 「悔しさ、喜び、仲間たちの汗と涙。金賞が取れなかったという結果だけではない、あの三年間で得たもののすべて」という直後の文章が、この「感情」の内容を具体的に説明しています。結果至上主義によって封印していた、過程の大切さや充実感を思い出したことを的確に示しています。
- 3. 音は「思ったより、ちゃんとした音が出た」程度であり、「衰えていない」とまでは言えません。また、「コンクールに挑戦したい」というよりは、「自分自身のために」吹こうという、より内面的な動機に変化しています。
- 4. 「自己嫌悪」というネガティブな感情ではなく、むしろ忘れていた大切なものを取り戻す、肯定的で前向きな感情の昂ぶりです。
【設問3】本文の内容に照らして、「私」が卒業後、クラリネットを吹かなくなった直接的な理由として考えられるものは何か。最も適当なものを、次の中から一つ選べ。
- 大学受験に専念するため、母親から楽器を続けることを固く禁じられてしまったから。
- 音楽の才能がないことを自覚し、プロの演奏家になる夢を諦めざるを得なかったから。
- コンクールという最大の目標を終え、燃え尽きてしまい、音楽への情熱そのものを失ってしまったから。
- 共に演奏してきた仲間たちと離れ離れになり、一人で練習を続けることに虚しさを感じてしまったから。
【正解と解説】
正解 → 3
- 1. 「母親」や「大学受験」に関する記述は一切ありません。
- 2. 「プロの演奏家になる夢」があったという記述はありません。あくまで部活動の一環として描かれています。
- 3. コンクール後の「乾いた気持ち」の理由として「燃え尽きてしまったのかもしれない」と自己分析しており、これが楽器から離れた直接的な理由として最も自然に繋がります。「それでいいと思っていた」という当時の心境とも合致します。
- 4. 仲間と離れた寂しさも理由の一つかもしれませんが、「燃え尽き」という、より根本的な情熱の枯渇が直接的な原因として本文で示唆されています。
【設問4】この物語の結末からうかがえる「私」の今後の生き方に対する姿勢として、最も適当なものを、次の中から一つ選べ。
- 過去の栄光にすがり、失われた青春を取り戻すために、再びコンクールでの金賞を目指して猛練習を始める。
- 結果や他者の評価のためではなく、自分自身の内面的な充足や喜びのために、物事に取り組んでいこうとする。
- 音楽の道に進まなかった自分の選択は間違いだったと後悔し、これからは好きなことだけをして生きていこうと決意する。
- 過去の思い出は美しいまま心にしまい、二度と楽器を吹くことなく、現実の生活に集中していく。
【正解と解説】
正解 → 2
- 1. 「コンクールでの金賞を目指して」という部分は、過去の価値観への回帰であり、「誰のためでもない、自分自身のために」という新たな境地とは異なります。
- 2. 「結果に囚われるあまり、大切なものをすべて置き去りに」してきた過去を反省し、「今度は、誰のためでもない、自分自身のために」楽器を構えるという最後の行動は、他者評価や結果主義から脱却し、自己の内面的な動機を大切にするという姿勢の変化を象G徴しています。
- 3. 「選択は間違いだったと後悔」しているというより、結果に囚われていた過去の自分の姿勢を反省しています。また、「好きなことだけをして生きていこう」という極端な決意までは読み取れません。
- 4. 「二度と楽器を吹くことなく」ではなく、「もう一度、ゆっくりと楽器を構えた」とあるため、明確に間違いです。
語句説明:
虚脱感(きょだつかん):気力や力が抜けきって、ぼんやりした状態。
ぎこちない:動きや表現が滑らかでないさま。
囚われる(とらわれる):一つの考えや感情に心を縛られ、自由な判断ができなくなること。