現代文対策問題 10

本文

アパートの部屋の窓から、向かいの家の庭がよく見える。その庭には一本の柿の木が植わっていて、秋になると、橙色の実をたわわに実らせる。私は、その家の老夫婦が、仲睦まじく庭の手入れをするのを眺めるのが好きだった。夫が脚立に上って枝を払い、妻がその下で落ち葉を掃く。二人の間に交わされる言葉は少ないが、その連携の取れた動きには、長い年月をかけて築き上げられた信頼関係が滲み出ていた。

しかし、去年の冬に夫が亡くなってから、庭は少しずつ荒れていった。妻は一人で草むしりをすることもあったが、その背中はひどく小さく、頼りなげに見えた。そして今年の秋、柿の木は去年までとは比べものにならないほどたくさんの実をつけた。手入れをされなくなった木が、最後の力を振り絞るようにして実らせたその光景は、どこか痛々しかった。

たくさんの柿は、収穫されることもなく、鳥についばまれたり、熟しきって地面に落ちたりしていく。私は窓からそれを見ていることしかできなかった。手を貸すべきか、でも、部外者の私が立ち入るべきではないのではないか。そんな逡巡をしているうちに、季節は過ぎていった。

ある晴れた日、妻が一人で柿の木を見上げているのが見えた。その横顔は、悲しんでいるようでも、困っているようでもなかった。むしろ、何かを確かめるように、じっと木を見つめている。やがて彼女は、熟して落ちた実を一つ拾い上げ、慈しむように、その表面をそっと撫でた。その時私は、彼女が亡き夫と共に育てたこの木と、静かな対話をしているような気がした。


【設問1】傍線部①「最後の力を振り絞るようにして実らせた」とあるが、「私」がその光景を「痛々しい」と感じたのはなぜか。その理由の説明として最も適当なものを、次の中から一つ選べ。

  1. 柿の木が手入れされずに放置され、病気にかかって枯れかけているように見えたから。
  2. たくさんの実をつけたことが、かえって世話をする主を失った柿の木の悲しみや孤独を際立たせているように感じられたから。
  3. たくさんの柿を収穫できない妻の無力さと、それを手伝うこともできない自分の無力さが重なって見えたから。
  4. 自然の摂理とはいえ、夫の死の直後に木がたくさんの実をつけるという偶然に、不謹慎なものを感じてしまったから。
【正解と解説】

正解 → 2

  • 1. 「病気にかかって」や「枯れかけている」という具体的な描写はありません。「痛々しい」は、物理的な状態ではなく、心理的な印象です。
  • 2. 本来、たくさんの実は豊かさの象徴です。しかし、それを受け取るべき夫が亡くなり、残された妻も世話をしきれないという状況が、その豊かさを空虚で悲しいものに変えています。主を失った木の健気さが、かえって見る者の胸を締め付ける、という解釈が最も文脈に合致します。
  • 3. 「私」が自分の無力さを感じているのは事実ですが(逡巡している)、柿の木の光景を「痛々しい」と感じた直接的な理由としては、妻と柿の木の関係性に焦点が当たっていると考えるべきです。
  • 4. 「不謹慎」という道徳的な批判の感情は本文から読み取れません。あくまで、その光景から感じられる情緒的な印象が問われています。

【設問2】傍線部②妻が落ちた実を「慈しむように、その表面をそっと撫でた」とあるが、この行動から読み取れる妻の心情として最も適当なものを、次の中から一つ選べ。

  1. 収穫できずに実を無駄にしてしまったことへの罪悪感と、木に対する申し訳ない気持ち。
  2. 夫と共に過ごした日々の思い出や、夫が注いだ愛情の証として、木が実らせた柿を受け止めようとする気持ち。
  3. 一人ではどうすることもできない現実への諦めと、来年こそはきちんと手入れをしようという新たな決意。
  4. 柿の実を亡き夫の形見として扱い、悲しみに暮れることで、自分の心を慰めようとする行為。
【正解と解説】

正解 → 2

  • 1. 「罪悪感」や「申し訳なさ」といったネガティブな感情だけでは、「慈しむように」という肯定的なニュアンスの行動を説明しきれません。
  • 2. 「慈しむ」という言葉には、深い愛情や大切に思う気持ちが込められています。彼女にとって柿の実は、単なる果実ではなく、夫と共に生きてきた時間の結晶です。それを撫でる行為は、思い出を確かめ、夫の存在を偲び、その遺志を受け止めるという、静かで肯定的な追悼の形と解釈できます。「静かな対話」という「私」の解釈とも合致します。
  • 3. 「諦め」や「新たな決意」といった、過去の断絶や未来への明確な意志は、この静かな場面からは読み取りきれません。今はただ、現在と過去を繋ぐ時間に浸っていると見るべきです。
  • 4. 「悲しみに暮れる」というよりは、もっと穏やかで受容的な雰囲気です。「慈しむ」という言葉は、激しい悲しみとは少し異なります。

【設問3】本文における「私」の役割についての説明として、最も適当なものを、次の中から一つ選べ。

  1. 老夫婦の家庭問題に積極的に介入し、物語を動かしていく中心的な主人公。
  2. 老夫婦の隣人として、彼らの人生の一部を窓越しに静かに見守り、その意味を思索する観察者。
  3. 老夫婦の物語を、自身の過去の体験と重ね合わせながら、感傷的に語るナレーター。
  4. 老夫婦の間に起こる出来事を、一切の感情を交えずに客観的な事実として記録する報告者。
【正解と解説】

正解 → 2

  • 1. 「手を貸すべきか」「逡巡している」とあるように、物語に「積極的に介入」はしていません。
  • 2. 物語は一貫して、窓から向かいの家を眺める「私」の視点で進みます。「私」は物語の中心で行動するのではなく、あくまで老夫婦の姿を「観察」し、その様子から様々なことを感じ、考えています。この距離感がこの物語の特徴です。
  • 3. 老夫婦の物語を「自身の過去の体験と重ね合わせ」ているという記述はありません。
  • 4. 「痛々しかった」「静かな対話をしているような気がした」など、「私」の主観的な感情や解釈が色濃く反映されており、「一切の感情を交えずに客観的」という説明は誤りです。

【設問4】本文の内容と合致するものを、次の中から一つ選べ。

  1. 老夫婦は、日頃から会話が多く、賑やかに庭の手入れをしていた。
  2. 夫が亡くなった後、妻はすぐに立ち直り、一人で完璧に庭の手入れを続けた。
  3. 「私」は、庭の手入れに困っている妻を見かねて、すぐに手伝いを申し出た。
  4. 妻は、収穫されずに落ちた柿の実を、愛情のこもった眼差しで見つめていた。
【正解と解説】

正解 → 4

  • 1. 「二人の間に交わされる言葉は少ない」とあり、間違いです。
  • 2. 「庭は少しずつ荒れていった」「その背中はひどく小さく、頼りなげに見えた」とあり、間違いです。
  • 3. 「手を貸すべきか」「逡巡しているうちに、季節は過ぎていった」とあり、間違いです。
  • 4. 「慈しむように、その表面をそっと撫でた」という行動が、愛情のこもった眼差しで見つめていたことを示しており、本文の内容と合致します。

語句説明:
仲睦まじく(なかむつまじく):仲が良く、親密なさま。
たわわに:果実などがたくさん実り、枝がしなうほど重そうなさま。
逡巡(しゅんじゅん):決心がつかず、ためらうこと。しりごみすること。

レベル:大学入学共通テスト対策|問題番号:10