古文対策問題 108(徒然草「仁和寺の法師」全文精読・論述型長文)
【本文】
仁和寺に、ある法師ありけり。年寄るまで石清水を拝まざりければ、心うくおぼえて、あるとき思ひ立ちて、ただひとり徒歩より詣でけり。
楼の下にて念仏して、やがてかへりにけり。その後、人のこの法師に、「本堂にまうでて、かたはらの僧都をも拝みてや」と問ひければ、「いな、ただ楼の下にて拝みてかへりにき」と答へたり。
いとあはれに、愚かなることかなと思ふ。
かく、己が心にまかせて、ものを知り、学び、ゆきふるまふ人も、多くはこの法師のごとく、肝要の要をば知らずして、名ばかりの世を送ること、かず知らず。
【現代語訳】
仁和寺に一人の法師がいた。年老いるまで石清水八幡宮にお参りしたことがなく、気がかりに思っていたので、ある時思い立って一人で徒歩で参拝した。
楼門の下で念仏を唱え、すぐに帰ってしまった。その後、知人がこの法師に「本堂にお参りして、その隣の僧都も拝みましたか」と尋ねると、「いや、ただ楼門の下で拝んで帰りました」と答えた。
それを聞いて、人々は「なんとも愚かなことだ」と思った。
このように、自分の思い込みで物事を知り、行動している人は、この法師のように肝心なことを知らず、表面的な人生を送っている例が多いのである。
【覚えておきたい知識】
文学史・古文常識:
- 徒然草:吉田兼好による随筆。人生・人間観察・無常観・諷刺が特徴。
- 仁和寺の法師:有名な説話段。肝要(かんよう)=最も重要な本質を見失う愚かさの寓話。
- 石清水:石清水八幡宮(京都・男山)。平安期より信仰の対象。
重要古語・語句:
- 年寄る:年をとる。
- 詣でる:参詣する。
- かたはら:そば、隣。
- 肝要の要:もっとも大事なこと、本質。
- かず知らず:数知れない、非常に多い。
【設問】
【問1】仁和寺の法師が「楼の下にて拝みてかへりにき」とした行動にどのような問題があったのか、筆者の考えに即して200字以内で述べよ。
【問1 解答例・解説】
法師は石清水に参詣したにもかかわらず、肝心の本堂や僧都を拝まず、楼門の下で拝んだだけで帰ってしまった。これは目的地に着きながら、本質を理解せず形だけで満足する愚かさであり、表面的な行動に終始する人間の欠点を象徴している。(196字)
【問2】この説話が示す「肝要の要を知らず、名ばかりの世を送る」ことの現代的意義について、あなたの経験や現代社会の事例も交え300字以内で論じなさい。
【問2 解答例・解説】
形式や手順だけをなぞり、本質を理解しないまま行動する人は現代にも多い。資格取得や受験勉強でも、知識の暗記にとどまり「なぜ学ぶのか」という目的意識を持てない例がある。私自身、資格を取るために勉強したものの、実際の業務や現場で応用できず、本質の理解不足を痛感したことがあった。社会でも、形だけの業務やルール順守に終始し、本当に大切な価値や意味を見失うことが多い。表面的でなく、肝要の要=本質を見極める姿勢が重要である。(297字)
【問3】筆者がこの説話を通じて訴えたい「本質を知ること」の大切さを、あなたの学習経験や生活の中から具体例を挙げて400字以内で述べよ。
【問3 解答例】
私は英語学習の際、最初は文法や単語の暗記に力を入れていたが、実際の会話や読解ではなかなか使いこなせず、壁にぶつかった経験がある。単に知識を覚えるだけでは不十分で、「なぜその表現を使うのか」「どう相手と気持ちを伝え合うか」といった本質に目を向けることで、ようやく語学の楽しさや実用性が見えてきた。徒然草のこの話は、何事にも表面的な知識や形式にとどまらず、本当に大切な部分=肝要の要を理解しようとする姿勢が重要だと教えてくれる。学びや仕事、対人関係でも、「何のために」「本質は何か」を常に問い直すことで、より豊かな成果や成長が得られると実感している。
【問4】あなた自身が「表面的な満足」や「思い込みによる失敗」をした経験を一つ挙げ、それをどのように本質的な学びに変えたか、400字以内で論じなさい。
【問4 解答例】
私は学生時代、アルバイトでマニュアル通りに接客をこなせば十分だと思い、効率優先で作業していた。しかし、ある日お客様から「君はロボットみたいだ」と言われてショックを受けた。そこで初めて「お客様の気持ちに寄り添い、心のこもった対応をする」という接客の本質を考えるようになり、少しずつ会話や気遣いを意識した。結果、リピーターや「また来ます」と言ってくれるお客様も増え、自分自身も仕事が楽しくなった。表面的な満足で終わらず、なぜそれをするのか、本当に価値のあるものは何かを考えることで、経験が自分の成長や人生の糧になったと感じている。