古文対策問題 107(伊勢物語「東下り」全文精読・構造解説型長文)

【本文】

昔、男ありけり。その男、身をえうなきものに思ひなして、京にはあらじ、いざ東の方へ住まむとて、ゆきゆきて、武蔵野の国と下総の国との中にいと大きなる河あり。その河の名を隅田川といふ。
その川のほとりにて、わがもとに従へる人々を見わたせば、みな涙を流しぬ。渡しもやうやうに暮れにければ、かちよりぞ渡る。
その川のほとりに立ちて、京を思ひやるに、心も空になりて、
「名にし負はば いざ言問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと」
と詠みければ、舟の中に涙を流さぬはなかりけり。

【現代語訳】

昔、男がいた。その男は自分の身を世の中の役に立たないものだと思い、都にはいられない、「さあ東の方へ住もう」といって旅立った。
やがて、武蔵野の国と下総の国の間に、とても大きな川があり、その川の名を隅田川という。
その川のほとりで、自分についてきた人々を見渡すと、皆が涙を流していた。
しかも、渡し船もやがて日が暮れてしまったので、歩いて川を渡ることになった。
その川の岸に立ち、都を思い出すと、心が空っぽになり、
「名前を持っているなら、さあ聞いてみよう、都鳥よ。私の思う人は都にいるのか、いないのか」と詠んだ。
すると舟の中で涙を流さない者はいなかった。

【覚えておきたい知識】

文学史・古文常識:

  • 伊勢物語:在原業平をモデルとする歌物語。和歌を中心に物語が展開する。
  • 東下り:主人公が都を離れ、東国へ旅する有名な段。和歌と物語の融合が特徴。
  • 都鳥:隅田川にいるとされた鳥(ユリカモメ)。和歌の象徴的モチーフ。

重要古語・語句:

  • 身をえうなきもの:世の役に立たない者。
  • かちより:徒歩で、歩いて。
  • 心も空になりて:悲しみや寂しさで心が虚ろになること。
  • 名にし負はば:名を持っているならば。
  • 言問ふ:問いかける、尋ねる。

【設問】

【問1】主人公が「名にし負はば…」と詠んだ心情について、旅と都への思いの両面から200字以内で論じなさい。

【問1 解答例・解説】

主人公は都を離れ、見知らぬ土地で心細さと孤独を強く感じている。「都鳥」に思いを託し、都に残してきた愛する人の消息や自分の存在意義を問いかける歌には、旅の不安と都への未練、そして人恋しさが切実に込められている。(194字)

【問2】「伊勢物語」の「東下り」の段が和歌と物語をどのように結びつけているか、300字以内で説明せよ。

【問2 解答例・解説】

「東下り」の段は、旅の情景や主人公の心情を和歌によって象徴的に表現し、和歌が物語展開の核心となっている点が特徴である。物語部分で都を離れる不安や孤独を描きつつ、その感情の頂点で「名にし負はば…」の歌が詠まれ、和歌が物語のクライマックスや登場人物の心の動きを鮮やかに可視化する。歌物語の形式美、歌と散文の融合がこの段に凝縮されている。(294字)

【問3】本文の「東下り」の旅は、現代人にどのような意味を持ちうるか。自身の経験や現代社会の状況も交えて400字以内で述べよ。

【問3 解答例】

「東下り」の旅は、現代人にとっても新たな環境や未知の土地へ踏み出す「人生の転機」や「自己探求」の象徴となりうる。進学や就職、転職などで生まれ育った場所を離れるとき、不安と期待、別れの寂しさや新しい出会いへの希望が交錯する。私自身も、故郷を離れて暮らし始めた時、親しい人や馴染んだ風景を思い出し、孤独の中で自分と向き合う時間が多かった。旅先でふとした景色や言葉に心を託し、過去と現在、自分の在り方を問い直す経験は、「名にし負はば…」の歌と重なる感覚があった。現代の「東下り」も、人が新しい世界へ踏み出しながら、内なる自分と向き合う物語なのである。

【問4】和歌「名にし負はば…」が持つ象徴性と、日本文学史上の意義について400字以内で論じなさい。

【問4 解答例】

「名にし負はば…」の歌は、旅先で都への思い・愛する人への未練を「都鳥」に託し、直接的な表現を避けつつ、象徴的なモチーフで感情を詠む和歌表現の典型である。都鳥=都・家族・愛・故郷など多重の意味を持ち、単なる鳥の名を超えて主人公の心情や文学的世界を深めている。また、この和歌は物語世界と現実の風景、心の動きの一致という日本文学の美意識を体現しており、後代の歌物語・和歌文学に大きな影響を与えた。象徴的な自然の用法と、普遍的な人間の感情をつなぐ金字塔として、日本文学史に不可欠な作品である。

レベル:最難関大・専門レベル|更新:2025-07-25|問題番号:107