古文対策問題 106(方丈記「ゆく河の流れ」全段精読・論述型長文)
【本文】
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。
世の中にある人と栖(すみか)と、またかくのごとし。
玉籠(たまかご)に棲む人の、栄華を誇れるも、朝(あした)には紅顔ありて、夕べには白骨となれる身も、ひとへに風の前の塵に異ならず。
およそ万(よろづ)の事も、つひに滅びぬるは、世の習いなれば、いかなる人も久しからず。
しかれば、栄耀栄華も、夢幻のごとし。はかなきものを思ひ知りぬれば、ただ仏道に心を寄せて、うき世の憂さを離れんと思ふのみぞ、まことの道にかなへる心なるべし。
【現代語訳】
流れる川の水は絶えることがなく、しかし決して同じ水ではない。
よどみに浮かぶ泡は、消えたり生まれたりして、長く留まることはない。
この世に生きる人や住まいも、同じようなものである。
立派な屋敷に住む人が栄華を誇っても、朝には元気だった人が夕方には白骨となるように、人の命は風の前の塵と変わりがない。
あらゆるものごとも、最終的には滅びるのが世の習いなので、どんな人も長くは存在しない。
だからこそ、栄華も夢や幻のようなものだと知れば、仏道に心を向け、この世の苦しみを離れようと思うことこそが、本当の道にかなう心なのである。
【覚えておきたい知識】
文学史・古文常識:
- 方丈記:鴨長明による鎌倉初期の随筆。無常観・災害・隠遁・人生観を描く。
- 無常観:世のすべてが変化し続け、永遠不変のものはないという仏教思想。
- 栄耀栄華:地位や財産に恵まれた栄華な暮らし。諸行無常の思想と対置される。
- 仏道:仏教の修行・信仰によって、うき世の憂さ(苦しみ・悩み)から離れる道。
重要古語・語句:
- 絶えず:とぎれず、絶え間なく。
- うたかた:水面の泡、はかないもの。
- 例(ためし):前例、先例。
- 玉籠(たまかご):立派な屋敷。
- かなふ:かなう、適合する。
【設問】
【問1】冒頭の「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」が象徴する無常観について、本文全体の構成との関係も含め200字以内で説明せよ。
【問1 解答例・解説】
川の流れや泡の消長は、世の中の人・栖の移り変わりと重ねられ、万物が絶えず変化し一瞬として同じものはないという無常観を象徴している。本文全体も、人の命や栄華の儚さ、結局は滅びに向かう現実を川と泡のイメージで貫き、人生観・仏教観へと論理的に展開している。(199字)
【問2】「栄耀栄華も、夢幻のごとし」という表現の意図とその文学的効果について、300字以内で論じなさい。
【問2 解答例・解説】
「栄耀栄華も、夢幻のごとし」という表現は、現世の繁栄や地位・財産もすべて一時的であり、結局は消えてなくなるはかない存在であることを強調する。夢や幻という比喩により、読者に現実の頼りなさや人生の虚無感を鮮烈に印象づける一方、執着を離れて本質的な価値を見出す契機ともなる。人生のはかなさと、仏道への希求が文学的に凝縮された名表現である。(271字)
【問3】本文の無常観は、現代社会に生きる私たちにどのような問いを投げかけているか。あなた自身の体験や社会的事象も踏まえ400字以内で述べよ。
【問3 解答例】
方丈記の無常観は、変化の速い現代社会にあって、私たちが何を本当に大切にし、どのように生きるべきかを問いかけている。コロナ禍や自然災害、AI時代の急激な変化を経験する中で、安定や永遠と信じていたものがいかに脆く移ろいやすいかを痛感する。私自身も、大切な人や日常の当たり前が失われる経験を通じて、目に見える成果や地位よりも、今ここにある人とのつながりや自分の心のあり方を重視するようになった。無常の現実を悲観するだけでなく、その中で自分なりの価値や生き方を見出すことの重要さを、この文章は教えてくれる。
【問4】あなた自身が「はかなきもの」を感じた具体的な経験を一つ挙げ、その体験と方丈記の世界観との関係について論じなさい。(400字以内)
【問4 解答例】
私が「はかなきもの」を強く感じたのは、高校時代の卒業式だった。いつまでも続くと思っていた日々が一瞬で過去になり、友人たちと別れる時、人生の節目の儚さを実感した。どれほど楽しく充実していても、それが永遠には続かないという現実を目の当たりにし、方丈記の「絶えずして、しかももとの水にあらず」という言葉が胸に迫った。同時に、過ぎゆくものの中でこそ、今この瞬間を大切に生きる価値や人との絆の尊さが際立つのだとも思う。方丈記の無常観は、変化や別れを単なる虚しさとして嘆くのでなく、「生きること」の深い意味と、新しい一歩への希望を教えてくれる世界観だと感じる。