古文対策問題 113(土佐日記「帰京への旅」全文精読・評論型長文)
【本文】
男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて、ある人の国より京へ上るに、
船路いと遠く、春の海はなほ冷たし。
ある日、暴風にあひて船が流され、知らぬ浦に着きて、皆、涙を流しぬ。
それぞれ、都に残したる人のこと、幼き子のことなど思ひやり、心細さは言ふばかりなし。
それよりのち、さまざまに波風の騒がしき夜を過ぎ、
やうやうにして、都のほど近くなりぬれば、
「京へ上り着きなば、何よりもわが子の顔を見まほし」と、心の内にぞ思ひける。
【現代語訳】
男が書くという日記というものを、女も書いてみようと思い、ある人(紀貫之)が国元から都へ帰ることになった。
船旅はとても長く、春の海はまだ冷たい。
ある日、暴風に遭い船が流され、知らない浜に着き、みな涙を流した。
それぞれ都に残してきた人や幼い子どものことを思い、心細さは言葉にならないほどだった。
それからも波や風が激しい夜をいくつも過ごし、
ようやく都が近くなると、
「都に着いたら、まず何よりも自分の子どもの顔が見たい」と心の中で強く思った。
【覚えておきたい知識】
文学史・古文常識:
- 土佐日記:紀貫之作。女性のふりで書かれた日本最初の日記文学。旅のリアリズムと心情の細やかさが特徴。
- 帰京:任地から都への帰還は、平安貴族にとって重大な人生の節目。
- わが子:日記全体で亡き娘への想いが随所に現れる。
重要古語・語句:
- 男もすなる:男がすると言われている。
- 女もしてみむとて:女もやってみようと思って。
- いと:とても。
- 心細さ:不安や寂しさ。
【設問】
【問1】「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて」の冒頭の意図と、日記文学史上の意義について200字以内で説明せよ。
【問1 解答例・解説】
男性が書くものとされていた日記を「女も書いてみよう」と宣言することで、従来の性別・形式にとらわれず、自己表現の新たな可能性を示した。土佐日記は女性の視点を装うことで感情や日常を繊細に描き、日本日記文学の礎となった点で画期的である。(199字)
【問2】本文の旅の描写から、作者の心情の移り変わりを300字以内で述べなさい。
【問2 解答例・解説】
長く冷たい春の船旅、暴風で知らぬ浜に流された恐怖と不安、都に残した家族や幼い子どもへの思いが交錯し、心細さが強調されている。旅の苦しみや寂しさの中でも、作者は都への到着を希望に変え、「何よりもわが子の顔を見たい」という切実な親心が最後に際立つ。現実の困難から、家族や故郷への強い思慕、希望への移行という心情の流れが丁寧に描かれている。(283字)
【問3】あなたが経験した「帰る場所」への思いと土佐日記の心情との共通点を400字以内で述べよ。
【問3 解答例】
私も進学や就職で新しい土地に移り住み、しばらくして故郷へ帰省するたび、「帰る場所」がどれほど大きな意味を持つかを実感した。新しい環境での不安や孤独、困難を乗り越えた後、家族や古い友人の顔を見た時の安心感や心の温かさは、何物にも代えがたいものだった。土佐日記の作者が、波風に苦しみ、都に残した家族を思いながら「わが子の顔を見たい」と願う心情は、現代の私たちにも通じる普遍的な感情だと思う。どれほど時代や場所が変わっても、人は誰しも「帰る場所」や「会いたい人」を心の拠り所にしているのだと改めて感じた。
【問4】土佐日記が後世の文学や女性表現に与えた影響について、400字以内で評論的に述べなさい。
【問4 解答例】
土佐日記は、従来の男性中心だった文学に、女性の視点や感情、日常生活の細やかな描写を導入した点で、日本文学史に画期的な転機をもたらした。「女もしてみむとて」の宣言に象徴されるように、女性の自己表現・自我意識の芽生えや、母性・家庭生活への眼差しが、後の『蜻蛉日記』『更級日記』など女性日記文学の発展に大きく寄与した。また、感情や体験の細部を率直に綴る手法は、現代のエッセイや小説、女性文学にも影響を与え続けている。土佐日記は、文学における「私」の確立と、ジェンダーの多様性・女性表現の自由化の先駆けとして、不朽の意義を持つ作品である。