漢文対策問題 041(『論語』より 君子のあり方)
本文
子曰、「君子周而不比、小人比而不周。」又曰、「君子不器。」
【書き下し文】
子(し)曰く、「君子(くんし)は周(しゅう)して比(ひ)せず、小人(しょうじん)は比して周せず。」と。又(また)曰く、「君子は器(うつわ)ならず。」と。
【現代語訳】
先生(孔子)が言われた、「君子(立派な人物)は、誰とでも分け隔てなく公平に交わるが、仲間内で馴れ合い、徒党を組むことはしない。一方、小人(器の小さい人物)は、仲間内で馴れ合うが、誰とでも公平に交わることはしない。」と。また、別の時にはこうも言われた、「君子とは、(特定の用途にしか使えない)器のような限定的な存在ではない。」と。
【設問】
問1 「君子周而不比、小人比而不周」において、「君子」と「小人」のあり方は、どのように対比されているか。最も適当なものを選べ。
- 君子は知識が周(あまねく)広いが、小人は比較にならないほど狭いという、知識量の違い。
- 君子は誰に対しても公平に接するが、小人は仲間内だけで固まり、党派を作るという、人間関係のあり方の違い。
- 君子はいつも周囲に気を配るが、小人は自分と他人を比較してばかりいるという、心の持ち方の違い。
- 君子は天下を周遊して見聞を広めるが、小人は近所付き合いしかしないという、行動範囲の違い。
- 君子はどっしりと構えているが、小人はいつも他人と比重を競っているという、態度の違い。
問2 孔子が述べた「君子は器ならず」の真意は何か。最も適当なものを選べ。
- 君子とは、中身が空っぽの器のように、常に心を空にして謙虚でなければならないということ。
- 君子とは、一つの専門分野や特定の用途に限定される器のような専門家ではなく、全体を大局的に見渡せる普遍的な徳を備えた人物であるべきだということ。
- 君子とは、壊れやすい器のように、周りの人々から大切に扱われなければならないということ。
- 君子とは、人の器の大きさを測る物差しのような、社会の基準となる存在であるべきだということ。
- 君子とは、見た目が美しい器のように、立ち居振る舞いが優雅でなければならないということ。
【正解と解説】
問1:正解 2
- 選択肢1:「周」を知識の広さと解釈するのは誤り。ここでは人間関係における公平性を指す。
- 選択肢2:◎ 「周」は、あまねく公平であること。「比」は、特定の仲間とだけ馴れ合い、党派を組むこと。君子は公明正大で、小人は党派的で不公平であるという、人間関係における根本的な態度の違いを的確に説明している。
- 選択肢3:「比」を「比較する」と解釈するのは誤り。ここでは「馴れ合う」「徒党を組む」の意。
- 選択肢4:「周」を「周遊する」と解釈するのは誤り。
- 選択肢5:「比」を「比重」と解釈するのは誤り。
問2:正解 2
- 選択肢1:謙虚さは君子の徳の一つだが、「器ならず」の直接的な意味ではない。
- 選択肢2:◎ 「器」とは、特定の用途や機能を持つ道具のこと。例えば、杯は酒を飲むための器、碗は飯を食べるための器であり、用途が限定される。孔子は、君子はそのような一芸一能の専門家(スペシャリスト)ではなく、仁や義といった普遍的な徳を身につけ、どんな状況にも対応できる人格者(ゼネラリスト)であるべきだと説いた。
- 選択肢3:大切に扱われるべき、という意味ではない。
- 選択肢4:基準となる存在ではあるが、「器」という比喩が持つ「機能が限定される」というニュアンスを捉えられていない。
- 選択肢5:優雅さも君子の一面だが、比喩の核心ではない。
【覚えておきたい知識】
重要句法:「A而(して)不(ず)B」
- 意味:「Aであって、Bではない」。二つの事柄を結びつけ、前半を肯定し、後半を否定する形。逆接的な意味合いを持つことが多い。
- 本文の例:「君子周而不比」→ 君子は公平であるが、徒党は組まない。
重要単語
- 君子(くんし):儒教における理想的な人格者。徳が高く、公明正大な人物。
- 小人(しょうじん):君子の対義語。利己的で、徳の低い人物。
- 周(しゅう)す:あまねく。公平無私であること。誰とでも分け隔てなく接すること。
- 比(ひ)す:特定の仲間とだけ馴れ合うこと。徒党を組むこと。えこひいきすること。
- 器(うつわ):特定の用途を持つ器物。転じて、ある特定の技能や用途にしか使えない限定的な能力や人物。
背景知識:儒教の理想像「君子」
出典は『論語』為政篇。孔子が目指した教育の目標は、単なる専門家や技術者(=器)を育てることではなかった。そうではなく、仁・義・礼・智・信といった普遍的な徳を身につけ、あらゆる状況で適切に判断し、行動できる、全人格的な人間「君子」を育成することにあった。君子は、特定の職務に限定されず、大局的な視野から社会や国家を導くべき存在と考えられた。この「君子不器」という言葉は、専門分化が進む現代社会においても、人間としての総合的な教養や人格の重要性を問いかけるものとして、示唆に富んでいる。