漢文対策問題 040(故事成語『塞翁が馬』)

本文

近塞上之人、有善術者。馬無故亡而入胡。人皆弔之。其父曰、「此何遽不為福乎。」居数月、其馬将胡駿馬而帰。人皆賀之。其父曰、「此何遽不能為禍乎。」家富良馬、其子好騎、堕而折其髀。人皆弔之。其父曰、「此何遽不為福乎。」居一年、胡人大入塞、丁壮者引弦而戦、近塞之人、死者十九。此独以跛之故、父子相保。

【書き下し文】
塞上(さいじょう)に近きの人に、術(じゅつ)を善(よ)くする者有り。馬、故(ゆゑ)無く亡(に)げて胡(こ)に入る。人皆之を弔(ちょう)す。其の父(ふ)曰く、「此(こ)れ何遽(なんぞ)福と為(な)らざらんや。」と。数月を居(を)て、其の馬、胡の駿馬(しゅんめ)を将(ひき)ゐて帰る。人皆之を賀(が)す。其の父曰く、「此れ何遽禍(わざはひ)と為(な)る能(あた)はざらんや。」と。家、良馬に富み、其の子騎るを好み、堕(お)ちて其の髀(ひ)を折る。人皆之を弔す。其の父曰く、「此れ何遽福と為らざらんや。」と。一年を居て、胡人(こじん)大いに塞に入り、丁壮(ていそう)の者は弦を引きて戦ひ、塞に近きの人、死する者十に九。此(こ)れ独(ひと)り跛(は)の故を以て、父子(ふし)相(あ)ひ保つ。

【現代語訳】
北方の砦の近くに、占術に長けた老人が住んでいた。ある時、その家の馬が理由もなく逃げて胡の国へ入ってしまった。人々は皆これをお悔やみ申し上げた。するとその父親(老人)は言った、「このことがどうして福に転じないと誰が言えようか。」と。数ヶ月経って、その逃げた馬が胡の国の駿馬を何頭も連れて帰ってきた。人々は皆これをお祝い申し上げた。するとその父親は言った、「このことがどうして災いに転じないと誰が言えようか。」と。家には良い馬が増えたので、その息子が乗馬を好んでいたが、落馬して股の骨を折ってしまった。人々は皆これをお悔やみ申し上げた。するとその父親は言った、「このことがどうして福に転じないと誰が言えようか。」と。一年経って、胡の民族が砦に大挙して攻め込んできた。壮健な若者は弓を引いて戦い、砦の近くの住民の十人のうち九人が戦死した。しかしこの家の息子だけは、足が不自由だったために(兵役を免れ)、父子共に命をながらえることができた。

【設問】

問1 馬が逃げたり、息子が落馬したりといった不幸な出来事が起こるたびに、老人が「此れ何遽福と為らざらんや(これが福とならないとどうして言えようか)」と述べたのはなぜか。最も適当なものを選べ。

  1. 不幸な出来事も、見方を変えれば必ず良い面があると信じていたから。
  2. 占術によって、この後には必ず良いことが起こると予見していたから。
  3. 人生における幸運と不運は、常に変化し続けるもので、今の出来事だけで一喜一憂すべきではないと考えていたから。
  4. 人々を慰めるために、あえて事態を楽観的に語っていたから。
  5. 不幸な出来事を嘆いても仕方がないので、強がって平気なふりをしていたから。

問2 この物語全体が示している、人生観や教訓として最も適当なものは何か。

  1. 不幸の裏には必ず幸運が隠されており、何事も前向きに捉えるべきだ。
  2. 幸運は長続きせず、必ず不幸が訪れるので、幸運な時ほど油断してはならない。
  3. 人間の目先の判断では、何が幸運で何が不運かは簡単にはわからず、禍福は予測できない形で移り変わるものである。
  4. 人生の幸不幸はすべて運命で決まっているので、人間はただそれを受け入れるしかない。
  5. 息子が足の骨を折ったおかげで戦争に行かずに済んだように、災いを転じて福となすためには知恵が必要である。
【正解と解説】

問1:正解 3

問2:正解 3

【覚えておきたい知識】

重要句法:反語形「何遽(なんぞ)~ざらんや」

重要単語

背景知識・思想:「塞翁が馬(さいおうがうま)」

出典は、前漢の淮南王・劉安が編纂させた思想書『淮南子(えなんじ)』人間訓。この物語から、「人生の幸不幸は予測がつかず、何が幸いして何が災いするかはわからない」ということのたとえとして使われる。「人間万事塞翁が馬(にんげんばんじさいおうがうま)」とも言う。一見不幸に思えることが幸福につながったり、その逆が起きたりする。そのため、目先の出来事に一喜一憂すべきではないという、道家的な無為自然の思想が根底にある。物事を長い目で見ることの重要性を示す教訓として、広く知られている。

レベル:共通テスト対策|更新:2025-07-24|問題番号:040