漢文対策問題 038(故事成語『杞憂』)
本文
杞国有人、憂天崩墜、身亡所寄、廃寝食。又有憂彼之憂者、因往暁之曰、「天、積気耳。奈何憂崩墜乎。」其人曰、「天果積気、日月星宿、不当墜邪。」暁之者曰、「日月星宿、亦積気中之有光耀者。只使墜、亦不能有所中傷。」其人曰、「奈地壊何。」暁之者曰、「地、積塊耳。…奈何憂其壊。」其人舎然大喜。
【書き下し文】
杞国(きこく)に人有り、天の崩(くづ)れ墜(お)ちて、身の寄(よ)する所亡(な)きを憂(うれ)へ、寝食(しんしょく)を廃す。又彼の憂ふるを憂ふる者有り、因(よ)りて往(ゆ)きて之を暁(さと)して曰く、「天は積気(せっき)のみ。奈何(いかん)ぞ崩れ墜つるを憂へんや。」と。其の人曰く、「天、果(はた)して積気ならば、日月星宿(じつげつせいしゅく)、当(まさ)に墜つべからざるか。」と。之を暁す者曰く、「日月星宿も、亦積気の中の光耀(くわうえう)有る者なり。只(た)だ墜つるを使(し)むとも、亦能(よ)く中傷(ちゅうしょう)する所有る能(あた)はず。」と。其の人曰く、「地の壊(こぼ)るるを奈何(いかん)せん。」と。之を暁す者曰く、「地は積塊(せっかい)のみ。…奈何ぞ其の壊るるを憂へん。」と。其の人、舎然(しゃぜん)として大いに喜ぶ。
【現代語訳】
【設問】
問1 傍線部「彼の憂ふるを憂ふる者有り」とは、どのような人物か。最も適当なものを選べ。
- 男と同じように、天地が崩壊することを心配している人物。
- 男の心配事が、いずれ国全体を巻き込む災いになると心配している人物。
- 男があまりにも心配しすぎて、健康を損なうのではないかと気にかけている人物。
- 男の心配事が、自分の身にも降りかかってくるのではないかと恐れている人物。
- 男の心配事が現実になるよう、ひそかに願っている悪意ある人物。
問2 この物語から生まれた「杞憂」という言葉は、現代ではどのような意味で使われるか。最も適当なものを選べ。
- 将来起こるかもしれない災害に備えて、入念に準備をしておくこと。
- 自分ではどうすることもできない、大きな問題について真剣に悩むこと。
- 友人や他人の心配事を、まるで自分のことのように親身になって心配すること。
- 取り越し苦労や、無用な心配をすること。
- 心配事が解決し、心が晴れやかになること。
【正解と解説】
問1:正解 3
- 選択肢1:男の心配事を「憂へて」はいるが、同じ内容を心配しているのではなく、心配している「男のこと」を心配している。
- 選択肢2:国全体の災いになると心配しているという記述はない。
- 選択肢3:◎ 男が「寝食を廃す」ほどに心配している状態、つまり彼の健康や精神状態そのものを「憂へて」、わざわざ諭しに来ている。この文脈から、男自身のことを気にかけていると解釈するのが最も自然である。
- 選択肢4:自分の身を恐れているのではなく、男のことを心配している。
- 選択肢5:悪意はなく、善意から「暁して」いる。
問2:正解 4
- 選択肢1:「備えあれば憂いなし」という前向きな意味合いはなく、心配そのものが主題である。
- 選択肢2:大きな問題について悩むことではあるが、「杞憂」には「その心配は不要だ」というニュアンスが含まれる。
- 選択肢3:これは問1の「彼の憂ふるを憂ふる者」の行動であり、「杞憂」という言葉自体の意味ではない。
- 選択肢4:◎ 杞の国の男が、実際には起こり得ない「天の崩落」を心配したことから、現代では「無用な心配」「取り越し苦労」の代名詞として使われる。「それは杞憂に過ぎない」のように用いる。
- 選択肢5:「舎然として大いに喜ぶ」は物語の結末だが、「杞憂」という言葉の意味ではない。むしろその逆である。
【覚えておきたい知識】
重要句法:反語形「奈何(いかん)ゾ~ンヤ」
- 意味:「どうして~だろうか、いや~ない」。理由や方法を問う形をとりながら、強い否定や非難を表す。
- 本文の例:「奈何ぞ崩れ墜つるを憂へんや」→ どうして天が崩れ落ちることなど心配する必要があろうか(いや、必要ない)。
- 心配する男を諭す場面で、その心配が不要であることを強調するために繰り返し使われている。
重要単語
- 杞(き):古代中国の国の名前。
- 寄(よ)する所亡(な)し:身を寄せる場所がない。よりどころがない。
- 寝食(しんしょく)を廃(はい)す:心配事などのために、眠ることも食べることもできなくなること。
- 暁(さと)す:教え諭す。言い聞かせる。
- 積気(せっき):気の積み重なったもの。
- 果(はた)して:思った通り。果たして。もし本当に。
- 日月星宿(じつげつせいしゅく):太陽、月、星々。
- 中傷(ちゅうしょう)す:当って傷つける。現代語の「根拠なく悪口を言う」の意味とは異なる。
- 積塊(せっかい):土の塊が積み重なったもの。
- 舎然(しゃぜん)として:わだかまりが解けて、さっぱりしたさま。安心したさま。
背景知識・故事成語:「杞憂(きゆう)」
出典は、道家思想の書物である『列子』天瑞篇。杞の国の人が天の崩落を憂えたというこの物語が語源となり、「杞憂」は「あれこれと無用な心配をすること、取り越し苦労」を意味するようになった。本来の『列子』の文脈では、宇宙の構造について議論する中で、心配する男も、それを諭す男も、どちらも物事の一面しか見ていないとされ、より深い哲学的テーマ(人間の認識の限界)が扱われている。しかし、故事成語としては、もっぱら「無用な心配」の意味で広く使われている。