漢文対策問題 037(『論語』より 過ちを改める)
本文
子路有過。或指之。子路愠。子曰、「君子不懼人知其過。過而不改、是謂過矣。懼人知、而終不改、乃是小人也。」
【書き下し文】
子路(しろ)に過(あやま)ち有り。或(あるひは)之を指す。子路愠(いか)る。子(し)曰く、「君子(くんし)は人の其の過ちを知るを懼(おそ)れず。過ちて改めざる、是(こ)れを過ちと謂(い)ふ。人の知るを懼れて、終(つひ)に改めざるは、乃(すなは)ち是(こ)れ小人(しょうじん)なり。」と。
【現代語訳】
弟子の路に過ちがあった。ある人がそれを指摘したところ、子路は腹を立てた。先生(孔子)は言われた、「君子(立派な人物)は、他人が自分の過ちを知ることを恐れたりしない。過ちを犯しておきながら、それを改めないこと、これこそを本当の『過ち』と言うのだ。他人に知られるのを恐れて、最後まで改めようとしないのは、まさしく器の小さい人物のすることだよ。」と。
【設問】
問1 傍線部「子路愠る」とあるが、子路が腹を立てた理由として、本文の文脈から考えられる最も適当なものは何か。
- 自分の過ちを他人に指摘され、面目を失ったと感じたから。
- 自分の過ちを誰も指摘してくれなかったことに、不満を感じたから。
- 指摘した人物が、自分よりも身分が低い者だったから。
- 自分は過ちなど犯していないと固く信じていたから。
- 師である孔子に、自分の過ちを知られてしまったと悟ったから。
問2 孔子が言う「是れを過ちと謂ふ」の「是れ(これ)」が指す内容として、最も適当なものは何か。
- 君子であるにもかかわらず、うっかり過ちを犯してしまったという事実。
- 過ちを犯したと自覚しながら、それを改めようとしないという態度。
- 自分の過ちを、他人に指摘されるまで気づかなかったという注意力の欠如。
- 過ちを指摘されて、子路のように腹を立ててしまうという未熟な精神。
- 他人に自分の過ちを知られることを、過度に恐れてしまう心の弱さ。
【正解と解説】
問1:正解 1
- 選択肢1:◎ 子路は直情的でプライドが高い性格で知られる。孔子の教えも、過ちを知られることを「懼れる」な、という点に主眼があることから、子路が腹を立てたのは、まさに他人に過ちを知られ、プライドが傷ついたからだと推測するのが最も自然である。
- 選択肢2:指摘されているので、文脈と合わない。
- 選択肢3:指摘した人物の身分については、本文に記述がない。
- 選択肢4:「過ち有り」と冒頭にあるため、事実として過ちはあった。
- 選択肢5:孔子に知られたからではなく、指摘した「或る人」に対して腹を立てている。
問2:正解 2
- 選択肢1:孔子は、君子でも過ちを犯すことはあり得ると考えている。過ちを犯すこと自体が問題なのではない。
- 選択肢2:◎ 「過ちて改めざる、是れを過ちと謂ふ」と直前に明記されている通り。「是れ」が指すのは「過ちて改めざる(過ちを犯したのに、改めないこと)」である。最初の過ち(一次的な過ち)よりも、それを改めないこと(二次的な過ち)の方が、より本質的な「過ち」であると孔子は定義している。
- 選択肢3:気づかなかったことではなく、気づいた後に「改めない」ことが問題とされている。
- 選択肢4:腹を立てることも未熟さの表れだが、孔子が「本当の過ち」として定義しているのは、より根本的な「改めない」という態度である。
- 選択肢5:心の弱さも原因の一つだが、「是れ」が直接指しているのは「改めない」という行為・態度である。
【覚えておきたい知識】
重要句法:「AはBなり」と「是をAと謂ふ」
- 断定「AはBなり」:「AはBである」。基本的な断定の形。本文では「乃ち是れ小人なり」として使われている。
- 定義「是をAと謂ふ」:「これをAと呼ぶ」。ある事柄を定義づける際の決まった言い方。「是」が指す内容を正確に捉えることが重要。
重要単語
- 子路(しろ):孔子の高弟の一人。勇敢で正直だが、直情的で荒々しい一面もあったとされる。
- 或(あるひは):ある人。誰か。
- 指(ゆび)す:指さす。ここでは「指摘する」の意。
- 愠(いか)る:心の中に不満や怒りを抱く。むっとする。
- 君子(くんし):儒教における理想的な人格者。
- 小人(しょうじん):君子の対義語。利己的で徳のない、器の小さい人物。
- 懼(おそ)る:恐れる。心配する。
- 改(あらた)む:改める。修正する。
背景知識・故事成語:「過ちては改むるに憚ること勿かれ」
出典は『論語』。この問題の背景には、孔子の有名な「過ちては則ち改むるに憚ること勿かれ(あやまちてはすなわちあらたむるにはばかることなかれ)」という教えがある。これは、「過ちを犯してしまったと気づいたら、ためらうことなくすぐに改めなさい」という意味である。孔子は、人間が過ちを犯すこと自体は避けられないと考えていた。重要なのは、過ちを犯した後の態度である。立派な人物(君子)は過ちを素直に認め、すぐに改める勇気を持つが、器の小さい人物(小人)は、体面を気にして過ちを認めず、改めようとしない。本文の「過ちて改めざる、是を過ちと謂ふ」は、この思想をさらに一歩進め、改めないことこそが真の過ちなのだ、と定義づけた言葉である。