漢文対策問題 033(『荘子』より 筌蹄のたとえ)
本文
筌者所以在魚、得魚而忘筌。蹄者所以在兎、得兎而忘蹄。言者所以在意、得意而忘言。吾安得夫忘言之人、而与之言哉。
【書き下し文】
筌(せん)は魚(うお)に在(あ)る所以(ゆゑん)なれば、魚を得て筌を忘る。蹄(てい)は兎(うさぎ)に在(あ)る所以なれば、兎を得て蹄を忘る。言(げん)は意(い)に在(あ)る所以なれば、意を得て言を忘る。吾(われ)安(いづ)くにか夫(か)の言を忘るるの人を得て、之(これ)と言(こと)を与(とも)にせんや。
【現代語訳】
魚を捕るための罠である「やな」は、魚を捕らえるための道具であるから、魚を捕らえてしまえば「やな」のことは忘れてしまう。兎を捕るための罠である「わな」は、兎を捕らえるための道具であるから、兎を捕らえてしまえば「わな」のことは忘れてしまう。言葉というものは、その奥にある本当の「意味」を捉えるための道具であるから、本当の「意味」を捉えてしまえば、言葉のことは忘れてしまうものだ。私は、一体どこで、そのように言葉を忘れ去った(=言葉を超えて真意を悟った)人物を見つけて、その人と語り合うことができるだろうか、いや、なかなか見つかるものではないなあ。
【設問】
問1 筆者が「筌(やな)」と「蹄(わな)」の比喩を用いて説明しようとしている、「言(言葉)」と「意(真意)」の関係はどのようなものか。最も適当なものを選べ。
- 言葉は、真意を捉えるための道具にすぎず、真意を理解したならば、もはや言葉そのものにこだわる必要はないという関係。
- 良い言葉(道具)を使わなければ、深い真意(獲物)は決して得られないという関係。
- 言葉(道具)がなければ、真意(獲物)は存在すらしないという関係。
- 言葉と真意は、表裏一体で決して切り離すことができないという関係。
- 言葉(道具)の使い方を誤ると、伝えたい真意(獲物)を正しく伝えられないという関係。
問2 最後の「吾安得夫忘言之人、而与之言哉」という一文に込められた筆者の願いは何か。最も適当なものを選べ。
- 言葉の表面的な意味に囚われることなく、物事の本質を直観的に理解し合えるような、真の悟りを得た人物と語り合いたいという願い。
- 自分の使う難解な言葉の意味を正確に理解できる、非常に聡明な学識者と議論がしたいという願い。
- 口数が少なく、余計なことを話さない無口な人物と、静かな時間を共に過ごしたいという願い。
- 自分の書いた言葉をいつまでも忘れずに、後世まで語り伝えてくれるような読者が現れてほしいという願い。
- 記憶を失って言葉を忘れてしまった人と会い、その特殊な状態を研究してみたいという学問的な探求心。
【正解と解説】
問1:正解 1
- 選択肢1:◎ 「魚を得て筌を忘る」という構造が示す通り、目的(魚・兎・意)を達成すれば、手段(筌・蹄・言)は不要になるという関係性を的確に説明している。
- 選択肢2:道具の良し悪しについては言及していない。
- 選択肢3:存在しないとまでは言っていない。あくまで捉えるための「手段」である。
- 選択肢4:「忘る」とあるため、切り離すことができる、むしろ切り離すべきだという考え方である。
- 選択肢5:使い方の巧拙ではなく、言葉という道具そのものの限界と役割について述べている。
問2:正解 1
- 選択肢1:◎ 「言を忘るるの人」とは、言葉の限界を知り、言葉に囚われずに本質(意)を把握できる人物のこと。筆者は、そのような人物とこそ、言葉を超えた次元で真のコミュニケーション(之と言を与にせん)が取れると考えており、そうした相手を強く求めている。
- 選択肢2:言葉をたくさん知っている学識者ではなく、むしろ言葉を「忘れた」境地の人を求めている。
- 選択肢3:単に無口な人を求めているわけではない。
- 選択肢4:「言を忘る」という本文の内容と真逆である。
- 選択肢5:記憶喪失の話ではなく、哲学的な境地の話である。
【覚えておきたい知識】
重要句法:反語形「安(いづ)クニカ~ンヤ」
- 意味:「一体どこで~できようか、いや、できない」。場所に関する反語表現で、実現が非常に困難であることや、そのような場所・人が見つからないという嘆きを表す。
- 本文の例:「吾安得夫忘言之人、而与之言哉」→ 私は一体どこで言葉を忘れた人を得て、その人と語り合うことができようか(いや、なかなか見つからないなあ)。
重要単語
- 筌(せん):魚を捕るための、竹で編んだ漁具。「やな」の一種。
- 蹄(てい):兎などを捕るための罠。「わな」。
- 言(げん):言葉。言語表現。
- 意(い):言葉によって表そうとしている、その奥にある本当の意味・内容。真意。
- 忘(わす)る:忘れる。荘子の文脈では、物事に執着せず、その存在を乗り越えるという、より深い意味で使われることが多い。
- 与(とも)にす:一緒に行う。交わる。
背景知識・故事成語:「得意忘言(とくいぼうげん)」
出典は、道家の代表的な書物である『荘子』外物篇。この物語から、「得意忘言」という言葉が生まれた。これは、「意を得て言を忘る」をそのまま熟語にしたもので、「本当の意味を理解したならば、それを表していた言葉のことは忘れてしまってよい」という意味である。言葉はあくまで真理に到達するための手段(舟やはしごのようなもの)であり、目的そのものではない。言葉の表面的な解釈に囚われて本質を見失うことを戒める、道家や後の禅宗などで重視された考え方である。