漢文対策問題 032(『貞観政要』より 君主の器)
本文
太宗謂群臣曰、「為君之道、必須先存百姓。若損百姓以奉其身、猶割股以啖腹、腹飽而身斃。…朕毎思傷其身者、乃是耽嗜欲、故不敢縱逸。…」魏徴対曰、「古者聖哲之主、皆亦近取諸身、故能推己及人。…陛下今所言、雖従古先哲、亦何以加之。」
【書き下し文】
太宗(たいそう)、群臣に謂(い)ひて曰く、「君(きみ)たるの道は、必ず須(すべか)らく先づ百姓(ひゃくせい)を存すべし。若(も)し百姓を損(そん)じて以て其の身を奉ぜば、猶(な)ほ股(もも)を割(さ)きて以て腹に啖(くら)はしむるがごとし、腹飽(あ)きて身斃(たふ)る。…朕(ちん)毎(つね)に其の身を傷(やぶ)る者は、乃(すなは)ち是(こ)れ嗜欲(しよく)に耽(ふけ)るなりと思ふ、故に敢(あ)へて縦逸(しょういつ)せず。…」と。魏徴(ぎちょう)対(こた)へて曰く、「古(いにしへ)の聖哲(せいてつ)の主(しゅ)は、皆亦(ま)た近(ちか)く諸(こ)れを身に取り、故に能(よ)く己(おのれ)を推(お)して人に及ぼせり。…陛下(へいか)の今言ふ所は、古の先哲に比べると雖(いへど)も、亦(ま)た何(なに)を以て之に加へん。」と。
【現代語訳】
【設問】
問1 傍線部「猶ほ股を割きて以て腹に啖はしむるがごとし」という比喩は、どのような行為の愚かさを指摘しているか。最も適当なものを選べ。
- 目先の空腹を満たすために、将来の自分の健康を損なうこと。
- 君主が、国という体の一部である人民を犠牲にして、自分自身の私利私欲を満たそうとすること。
- 自分の体を傷つけてまで、他人に食事を分け与えようとすること。
- 腹が満ち足りているのに、さらに腿の肉まで食べようとすること。
- 人民から取り上げたものを、結局は人民に還元しようとすること。
問2 臣下の魏徴が、太宗の言葉を「古の先哲」の言葉に勝るとも劣らないと称賛した最大の理由は何か。最も適当なものを選べ。
- 太宗が、人民を第一に考えるという君主の道と、欲望を自制するという自己の修養を結びつけ、それを実践しているから。
- 太宗の言葉が、過去のどの賢人の言葉よりも、独創的で斬新なものであったから。
- 君主が自ら臣下に対し、政治の要諦を説いて聞かせるという、前代未聞の行為に感心したから。
- 太宗が、自分自身の欲望の強さを素直に認め、それを臣下に告白した謙虚な姿勢に感動したから。
- 太宗が、魏徴自身の考えと全く同じことを述べたので、我が意を得たりと喜んだから。
【正解と解説】
問1:正解 2
- 選択肢1:内容は近いが、これはあくまで比喩の表面的な意味。「君主と人民」の関係について語っている文脈から、2がより的確な説明となる。
- 選択肢2:◎ 「股」を「百姓(人民)」、「腹」を「其の身(君主自身)」、「身」を「国全体」と見立てた、的確な比喩の解釈である。人民という国体を支える部分を損なって君主だけが栄えようとしても、結局は国全体が滅びるという論理を正しく説明している。
- 選択肢3:他人に分け与えるのではなく、自分の腹を満たしている。
- 選択肢4:満ち足りているのに、という状況ではない。
- 選択肢5:還元するのではなく、一方的に収奪している。
問2:正解 1
- 選択肢1:◎ 魏徴の言う「近く諸れを身に取り、故に能く己を推して人に及ぼせり(身近な自分自身のことから教訓を得て、それを人民に及ぼした)」という聖君のあり方を、太宗が「欲望を自制する(身に取る)」ことと「人民を第一に考える(人に及ぼす)」ことを見事に一体として語り、実践しているから。これこそが魏徴が称賛したポイントである。
- 選択肢2:独創的というよりは、むしろ「古の聖哲の主」と同じであるからこそ称賛している。
- 選択肢3:前代未聞ではなく、「古者聖哲之主」も同様であったと述べている。
- 選択肢4:謙虚さへの感動というよりは、その政治哲学の正しさ、深さへの感嘆である。
- 選択肢5:魏徴個人の考えと一致したからではなく、普遍的な聖君の道に合致しているからである。
【覚えておきたい知識】
重要句法:「Aすべし」と反語「何ヲ以テ~ン」
- 当為「須(すべか)ラク~すべし」:「~する必要がある」「~ねばならない」。義務や当然の行為であることを示す。
- 反語「何ヲ以テ~ン」:「どうして~できようか、いやできない」。ここでは「何以加之(何を以て之に加へん)」で、「これ以上何を付け加えることができようか、いや何も付け加える必要がないほど完璧だ」という、最上級の賛辞となっている。
重要単語
- 太宗(たいそう):唐の第二代皇帝。名君として知られ、その治世は「貞観の治」と称される。
- 百姓(ひゃくせい):人民。民衆。
- 奉(ほう)ず:ここでは、自分の身を満足させる、養うの意。
- 啖(くら)ふ:食べる。
- 斃(たふ)る:死ぬ。倒れる。
- 朕(ちん):皇帝の自称。
- 嗜欲(しよく):感覚的な欲望。
- 縦逸(しょういつ):わがまま放題に、気ままに振る舞うこと。
- 魏徴(ぎちょう):太宗に仕えた臣下。皇帝に対しても臆せず直言する「諫臣」として有名。
- 推己及人(すいききゅうじん):自分の気持ちを推し量って、それを他人にも及ぼすこと。儒教の「恕」の精神。
背景知識:『貞観政要(じょうがんせいよう)』
唐の太宗の治世(貞観年間)における、皇帝と臣下たちの政治問答を記録した書物。後世の君主たちが、政治の要諦を学ぶための教科書として長く読まれた。特に、名君・太宗と、彼に直言を続けた名臣・魏徴とのやり取りは、理想的な君臣関係のモデルとされる。この一節は、君主は人民の上に立つのではなく、人民によって生かされているという、民本主義的な思想と、それを実現するための君主自身の自己修養の重要性を示している。