漢文対策問題 030(『荘子』より 邯鄲の歩み)
本文
且子独不聞夫寿陵餘子之学行於邯鄲与。未得国能、又失其故行矣、直匍匐而帰耳。
【書き下し文】
且(か)つ子(し)独(ひと)り夫(か)の寿陵(じゅりょう)の餘子(よし)の邯鄲(かんたん)に行(こう)を学ぶを聞かざるか。未(いま)だ国能(こくのう)を得ずして、又(ま)た其の故行(ここう)を失ひ、直(た)だに匍匐(ほふく)して帰るのみ。
【現代語訳】
そもそもあなたは、あの寿陵の若者が、趙の国の都である邯鄲へ行って、そこの独特な歩き方を学ぼうとした話を聞いたことがないのか。彼は、その邯鄲の素晴らしい歩き方をまだ習得できないうちに、もともと自分が身につけていた歩き方までも忘れてしまい、結局、腹ばいになって故郷に帰るしかなかったというではないか。
【問題】
この「寿陵の餘子」の物語が示している教訓として、最も適当なものを次の中から一つ選べ。
- むやみに他人の真似をしようとすると、その長所を身につけられないばかりか、自分が本来持っていたものまで失ってしまうことがあるという戒め。
- 新しいことを学ぶためには、まず自分の古いやり方を完全に捨て去ることが不可欠であるという教え。
- 邯鄲の歩き方は非常に難解であったため、寿陵の若者のような凡人には到底習得できなかったという事実。
- 故郷を離れて遠い土地へ行くと、故郷の習慣を忘れてしまい、結局どちらの土地にも馴染めなくなるという悲劇。
- 若いうちは失敗を恐れず、たとえ這って帰る結果になっても、様々なことに挑戦すべきだという激励。
- 自分に合わないことを無理に学ぼうとしても、才能がなければ、どんなに努力しても無駄であるということ。
- 流行を追いかけることは空虚であり、自分の故郷の伝統的なやり方を守り続けることこそが尊いという主張。
- 師匠の選び方が悪かったために、若者は正しく歩き方を学ぶことができず、かえって下手になってしまったということ。
- 歩き方のような基本的なことまで忘れてしまうほど、若者が学問に没頭していたことへの称賛。
- 物事を中途半端に学んだ結果、かえって以前よりも能力が低下してしまったという、不完全な学習への警告。
【正解と解説】
正解:1
- 選択肢1:◎ この寓話の核心を的確に説明している。「国能を得ず(新しいものを得られず)」、「故行を失ふ(元々持っていたものを失う)」という二重の失敗がポイント。自分本来の良さを見失い、むやみに他者を模倣することの愚かさを指摘している。
- 選択肢2:本文では、古いやり方を捨てた結果、新しいものも得られず、最悪の結果になっているため、真逆の教訓となる。
- 選択肢3:歩き方の難解さや若者の才能の有無が主題ではなく、模倣そのものの危うさが主題である。
- 選択肢4:故郷を離れること一般ではなく、「他人の真似をする」という行為が問題とされている。
- 選択肢5:挑戦を奨励する話ではなく、むしろ自己を見失うことへの警告である。
- 選択肢6:才能の有無というよりは、自分に合わないものを無理に真似ること自体の問題を指摘している。
- 選択肢7:内容は近いが、より普遍的な「自己の本来性の喪失」というテーマを捉えている1の方が、より本質的な説明である。
- 選択肢8:師匠の選び方については、本文に記述がない。
- 選択肢9:学問への没頭を称賛しているのではなく、その結果歩けなくなるという愚かさを描いている。
- 選択肢10:中途半端な学習への警告という側面もあるが、主題は「模倣によって自己を失う」という点にあり、1の方がより広い意味を捉えている。
【覚えておきたい知識】
重要句法:反語形「独(ひと)り~か」と限定形「~のみ」
- 反語:「独不聞~与(独り~を聞かざるか)」→ あなただけが~を知らないのか、いや知っているだろう。有名な話を持ち出す際の常套句。
- 限定:文末の「耳」は「のみ」と読み、「~だけだ」「~にすぎない」という強い限定を表す。「匍匐して帰るのみ」で、若者の惨めな結末を強調している。
重要単語
- 且(か)つ:そもそも。いったい。話を切り出す際に使う発語の助詞。
- 寿陵(じゅりょう):中国古代の燕の国の地名。
- 餘子(よし):若者。青年。
- 邯鄲(かんたん):趙の国の都。当時、文化の中心地として栄えていた。
- 行(こう):歩き方。歩行の仕方。
- 国能(こくのう):その国(ここでは邯鄲)の優れたやり方。
- 故行(ここう):元々の自分の歩き方。
- 匍匐(ほふく)す:腹ばいになって進むこと。はって進むこと。
背景知識・故事成語:「邯鄲の歩み(かんたんのあゆみ)」
出典は、道家の書物『荘子』秋水篇。「邯鄲学歩(かんたんがくほ)」とも言う。この故事は、自分の本分や本来の性質を忘れ、むやみに他人の真似をすると、その他人の長所を身につけられないばかりか、自分固有の長所までも失ってしまうことのたとえ。荘子は、人為的な技術や流行(邯鄲の歩み)を学ぶことよりも、ありのままの自分自身の性質(故行)に従って生きることの重要性を説いた。この物語は、その思想を象徴する寓話として有名である。