漢文対策問題 026(『列子』より 金を攫む)
本文
昔斉人有欲金者。清旦、衣冠而之市。適鬻金者之所、因攫其金而去。吏捕得之。問曰、「人皆在焉、子攫人之金、何故。」答曰、「取金之時、不見人、徒見金。」
【書き下し文】
昔、斉人(せいひと)に金を欲する者有り。清旦(せいたん)に、衣冠(いかん)して市(いち)に之(ゆ)く。鬻金(いくきん)の者の所に適(ゆ)き、因(よ)りて其の金を攫(つか)みて去る。吏(り)之を捕へ得たり。問ひて曰く、「人皆(みな)在(あ)るに、子(し)人の金を攫みしは、何の故(ゆゑ)ぞ。」と。答へて曰く、「金を攫みし時、人を見ず、徒(た)だ金を見るのみ。」と。
【現代語訳】
昔、斉の国に、金が欲しくてたまらない男がいた。ある早朝、きちんと衣服を整え冠をかぶって市場へ出かけていった。金製品を売っている店の場所へ行くと、いきなりその金をつかみ取って逃げ去った。役人が彼を捕まえた。役人が尋ねて言った、「周りには人が大勢いたのに、お前が公然と人の金をつかみ取ったのは、一体どういう訳だ。」と。男は答えて言った、「金をつかみ取ろうとしたその時には、周りの人は目に入りませんでした。ただ金だけが見えていたのです。」と。
【問題】
「取金之時、不見人、徒見金」という男の言葉から読み取れる、彼の心理状態として最も適当なものを選べ。
- 金が欲しいという強烈な欲望に心を完全に支配され、周りの人々や社会的な規範が一切見えなくなるほど、視野が極端に狭くなっていた状態。
- わざと非常識な言い訳をすることで、自分は精神に異常をきたしていると思わせ、罪を軽くしてもらおうとする計算高い心理。
- 早朝で市場にまだ人が少なかったため、誰にも見られていないと油断しきっていた状態。
- きちんと衣冠を整えていたため、自分がまさか強盗だとは思われず、誰にも止められないだろうと確信していた、傲慢な心理。
- その金がもともと自分の物であると固く信じており、人の物を盗んでいるという自覚が全くない状態。
- 役人に捕まったことに対する腹いせに、わざと意味の分からないことを言って、役人を困らせようとしている反抗的な態度。
- あまりに多くの人がいたため、かえって一人一人の顔が認識できなくなり、誰もいないのと同じように感じてしまった状態。
- 日頃から人を見下しており、周りにいる人々を、自分に行動をためらわせるほどの存在ではないと軽視していた心理。
- 人生に絶望しており、どうなってもいいという自暴自棄の気持ちから、わざと捕まるような大胆な犯行に及んだ状態。
- 催眠術にでもかかったように、金を手に入れることしか考えられなくなり、自分の行動を制御できなくなってしまった、無意識の状態。
【正解と解説】
正解:1
- 選択肢1:◎ 「金を欲す」という強烈な欲望が原因で、「人を見ず、徒だ金を見るのみ」という異常な心理状態に陥った、という物語の因果関係を最も的確に説明している。欲望が理性を凌駕し、視野狭窄に陥るという寓意を正しく捉えている。
- 選択肢2:計算高い言い訳というよりは、本心からそう見えていた、という欲望の恐ろしさを描いた話と解釈するのが自然である。
- 選択肢3:「人皆在るに」と役人が言っていることから、人が少なかったという解釈は誤り。
- 選択肢4:傲慢さというよりは、欲望による盲目状態が主題である。
- 選択肢5:自分の物だと信じているという記述はない。
- 選択肢6:反抗的な態度ではなく、捕まった理由を正直に(あるいは、彼にとっての真実を)述べている。
- 選択肢7:群衆心理の話ではなく、一個人の欲望についての話である。
- 選択肢8:人を見下しているというより、人の存在そのものが認識から消えている。
- 選択肢9:自暴自棄であるという記述はない。「金を欲する」という明確な動機がある。
- 選択肢10:「無意識」という点は近いが、その原因が「強烈な欲望」であることを明確にしている1の方が、より根本的な説明として優れている。
【覚えておきたい知識】
重要句法:限定形「徒(ただ)~のみ」
- 意味:「ただ~だけだ」「~にすぎない」。行動や認識の範囲を強く限定する表現。
- 本文の例:「徒見金(徒だ金を見るのみ)」→ ただ金だけが見えていた(、他のものは一切見えなかった)。
- この句法は、登場人物の異常なほどの集中や、視野の狭さを強調するのに効果的である。
重要単語
- 清旦(せいたん):清々しい朝。早朝。
- 衣冠(いかん)す:きちんと衣服を着て、冠をかぶる。正装する。この男の行動の異様さを際立たせるディテール。
- 之(ゆ)く:行く。
- 鬻(ひさ)ぐ:売る。
- 攫(つか)む:ひったくる。わしづかみにする。
- 吏(り):役人。官吏。
- 故(ゆゑ):理由。わけ。
背景知識:寓話としての『列子』
出典は、道家思想の書物である『列子(れっし)』。この「金を攫む」話は、人間の欲望がもたらす愚かさを描いた寓話である。道家思想では、人為的な欲望や知恵が、かえって人間を不幸にし、道(自然の摂理)から遠ざけると考える。この男は、「金が欲しい」という一つの欲望に心を完全に囚われた結果、社会のルール(法)や他人の存在(人)といった、現実を構成する他の全てのものが見えなくなってしまった。正装している(=社会的な体裁は保っている)にもかかわらず、欲望の前では無力であるという皮肉も込められている。強すぎる欲望がいかに人の理性を狂わせるか、という普遍的な教訓として読める物語である。