漢文対策問題 019(『呂氏春秋』より 刻舟求剣)
本文
楚人有渉江者、其剣自舟中墜於水。遽刻其舟、曰、「是吾剣之所従墜。」舟止、従其所刻者入水求之。舟已行矣、而剣不行。求剣若此、不亦惑乎。
【書き下し文】
楚人(そひと)に江(かう)を渉(わた)る者有り、其の剣(けん)、舟中(しゅうちゅう)より水に墜(お)つ。遽(にはか)に其の舟に刻(きざ)みて曰く、「是(こ)れ吾(わ)が剣の従(よ)りて墜ちし所なり。」と。舟止(とど)まるに、其の刻みし所の者より水に入りて之を求む。舟は已(すで)に行けり、而(しか)るに剣は行かず。剣を求むること此(か)くの若(ごと)きは、亦(ま)た惑(まど)へるに非(あら)ずや。
【現代語訳】
楚の国の人で、長江を舟で渡っている者がいた。その男の剣が、舟の中から水の中に落ちてしまった。男はあわてて舟べりに印を刻んで言った、「ここが私の剣が落ちた場所だ。」と。やがて舟が岸に着いて止まると、男は自分が印を刻んだ場所の真下から水に入って剣を探した。舟はもうとっくに(剣が落ちた場所から)進んでしまっているのに、剣は(その場から)動いていない。このようにして剣を探すとは、なんとまあ、愚かなことではないか。
【問題】
この楚の国の男が剣を見つけられなかった根本的な理由は何か。その説明として最も適当なものを次の中から一つ選べ。
- 舟が絶えず動いているという状況の変化を理解せず、舟に付けた印という固定的な目印に固執したから。
- 剣を落としたことに動転し、慌てて舟に印を刻むという無意味な行動をとってしまったから。
- 川の流れが速く、印を付けたにもかかわらず、剣が遠くまで流されてしまったから。
- 舟に印を刻むのに手間取り、剣が川底の泥に深く埋まってしまったから。
- 泳ぎが不得意で、水中で剣を十分に探すことができなかったから。
- 舟が岸に着くまでの間に、誰かがこっそり剣を拾ってしまったから。
- 舟の進む速さと川の流れを計算に入れず、印を刻む場所を間違えてしまったから。
- 「剣を落とした場所」ではなく「舟」に印をつけたことが、そもそも間違いであったから。
- 剣が落ちたのは自分の責任ではないと考え、真剣に探そうとしなかったから。
- 剣はもう見つからないと早合点し、印をつけたことで、探したふりだけをしようとしたから。
【正解と解説】
正解:1
- 選択肢1:◎ この話の核心を的確に突いている。男の失敗は、「舟は動く」が「剣は(落ちた場所から)動かない」という、時の経過に伴う状況変化を無視した点にある。動く舟に付けた印を絶対的な基準点だと信じ込んだ、思考の柔軟性のなさが根本原因である。
- 選択肢2:動転したのは事実だが、なぜその行動が「無意味」なのかという根本理由にまで踏み込んでいる1の方が、より優れた説明である。
- 選択肢3:「剣は行かず」と本文にあるため、川の流れで剣が動いたという解釈は本文の内容と矛盾する。
- 選択肢4:剣が泥に埋まったという記述はない。
- 選択肢5:男の泳力については本文に記述がない。
- 選択肢6:誰かが盗んだという記述はない。
- 選択肢7:計算ミスというレベルではなく、思考の枠組みそのものが間違っている。
- 選択肢8:内容は正しいが、なぜそれが間違いなのかという理由を説明している1の方が、より根本的である。
- 選択肢9:男は「遽に」行動し、「之を求む」とあるため、真剣に探そうとしている。
- 選択肢10:探したふりをしようとした、というような意図は本文から読み取れない。
【覚えておきたい知識】
重要句法:反語形「不亦A乎(またAならずや)」
- 意味:「なんとまあAではないか」。表面上は「Aではないか?」と問いかける形をとりながら、実際には「非常にAである」と強く断定・詠嘆する反語表現。
- 本文の例:「不亦惑乎(亦た惑へるに非ずや)」→ なんと愚かなことではないか。
- この句法は、筆者が登場人物の行動やある事象に対して、強い評価(多くは呆れや感心)を下す場面で用いられる。
重要単語
- 渉(わた)る:(川や海を)渡ること。
- 遽(にはか)に:あわてて。急に。とっさに。
- 刻(きざ)む:彫りつける。印をつける。
- 従(よ)りて:~から。動作の起点を表す。
- 而(しか)るに:しかし。ところが。逆接を表す接続詞。
- 若(ごと)し:~のようだ。比況を表す。ここでは「此の若し」で「このようだ」。
- 惑(まど)ふ:道理がわからない。愚かである。判断を誤る。
背景知識・故事成語:「舟に刻みて剣を求む(ふねにきざみてけんをもとむ)」
出典は、秦の宰相・呂不韋が編纂させた思想書『呂氏春秋(りょししゅんじゅう)』。「刻舟求剣(こくしゅうきゅうけん)」とも言う。この故事から、「時勢の移り変わりを知らず、古いやり方に固執して対応しようとする愚かさ」のたとえとして使われる。法律や制度も、時代に合わせて変えていかなければならないという、政治的な教訓として語られた寓話である。