漢文対策問題 018(『孟子』より 牛山の木)

本文

孟子曰、「牛山之木嘗美矣。以其郊於大国也、斧斤伐之、可以為美乎。是其日夜之所息、雨露之所潤、非無萌蘗之生焉。牛羊又従而牧之、是以若彼濯濯也。人見其濯濯也、以為未嘗有材焉、此豈山之性也哉。雖存乎人者、豈無仁義之心哉。其所以放其良心者、亦猶斧斤之於木也。旦旦而伐之、可以為美乎。」

【書き下し文】
孟子(もうし)曰く、「牛山(ぎうざん)の木(き)は嘗(かつ)て美なりき。其(そ)の大国(たいこく)に郊(こう)たるを以(もっ)て、斧斤(ふきん)之を伐(き)る、以て美と為(な)す可(べ)けんや。是(こ)れ其の日夜(にちや)の息(そく)する所、雨露(うろ)の潤(うるほ)す所、萌蘗(ばうげつ)の生ずること無きに非(あら)ず。牛羊(ぎうよう)又(ま)た従ひて之を牧(ぼく)す、是(こ)れを以て彼の若(ごと)く濯濯(たくたく)たるなり。人、其の濯濯たるを見て、以て未(いま)だ嘗て材有らずと為す、此れ豈(あ)に山の性ならんや。人に存する者と雖(いへど)も、豈に仁義(じんぎ)の心無からんや。其の其の良心(りょうしん)を放(はな)つ所以(ゆゑん)の者は、亦(ま)た猶(な)ほ斧斤の木に於(お)けるがごときなり。旦旦(たんたん)として之を伐らば、以て美と為す可けんや。」と。

【現代語訳】
孟子が言われた、「牛山の木は、かつては美しく生い茂っていた。しかし、その山が大国の都の郊外にあったため、斧で次々と伐採されてしまった。これでは美しいままでいられるだろうか、いや、いられるはずがない。もちろん、昼夜の気の働きや、雨や露の潤いによって、新しい芽が生えてこないわけではない。しかし、牛や羊がまたやって来てはそれを食べてしまう。だから、あのようにつるつるの禿げ山になってしまったのだ。人々はその禿げ山を見て、もともと木材になるような立派な木など生えていなかったのだと思っているが、これがどうして山の本来の性質であろうか、いや、そうではない。これは人間にも当てはまることで、人の心にどうして仁義の心がないことがあろうか、いや必ずある。その人が生まれつき持っている善い心を失ってしまう理由は、ちょうど斧が木を伐採するのと同じようなものである。毎日毎日その善い心を傷つけていて、どうして善い状態を保つことができようか、いや、できるはずがない。」

【問題】

孟子が「牛山の木」のたとえを用いて、本当に説明しようとしていることは何か。最も適当なものを選べ。

  1. 人間も本来は仁義の心という善い性質を持つが、悪い環境や欲望によって日々その善性が損なわれ、ついには無いように見えてしまうということ。
  2. 美しい自然も、人間の活動によって簡単に破壊されてしまうという、環境保護の重要性。
  3. 人間には生まれつき善人と悪人がいて、それはあたかも木が生い茂る山と、木が全く生えない禿げ山のように、本性が違うのだということ。
  4. 人の心は、毎日斧で木を伐るように、悪い部分を絶えず切り捨てていかなければ、善い状態を保てないということ。
  5. 一度失われた自然や人の良心は、どんなに努力しても、決して元の美しい状態には戻らないという、取り返しのつかない悲劇。
  6. 人は見かけで判断されがちだが、禿げ山にもかつて木があったように、悪人に見える人にも善い心が眠っているかもしれないということ。
  7. 牛や羊のような動物でさえ自然を破壊するのだから、人間が環境を破壊するのは当然であるという、人間の欲望の肯定。
  8. 大国の近くに住むと、斧で伐られる木のように、ろくなことにならないという、立地条件の重要性。
  9. 人の本性は、生まれ持ったものではなく、その人が置かれた環境によって全て後天的に決定されるのだということ。
  10. 仁義の心は、雨や露のように外部から与えられるものであり、自らの中に求めるべきではないということ。
【正解と解説】

正解:1

【覚えておきたい知識】

重要句法:二重否定「~無きに非ず」と反語「豈に~や」

重要単語

背景知識・思想:「性善説(せいぜんせつ)」

儒家の思想家、孟子(もうし)が唱えた中心的な思想。人間は生まれながらにして善の性質を備えていると考える。「仁・義・礼・智」という四つの徳の芽生え(四端)は、誰もが先天的に心の中に持っており、それを学び育てる(拡充する)ことで、人は立派な人間になれると説いた。悪人が存在するのは、その人が本来持っていた善なる心を、後天的な環境や欲望によって失ってしまったからだと説明する。この「牛山の木」のたとえは、その理論を非常に分かりやすく示したものとして有名である。

レベル:共通テスト対策|更新:2025-07-23|問題番号:018