漢文対策問題 017(柳宗元『三戒』より 黔之驢)
本文
黔無驢、有好事者船載以入。至則無可用、放之山下。虎見之、龐然大物也、以為神。…他日、驢一鳴、虎大駭遠遁。…然往来視之、覚無異能者。…稍近益狎、蕩倚衝冒、驢不勝怒、蹄之。虎因喜曰、「技止此耳。」因跳踉大㘎、断其喉、尽其肉、乃去。
【書き下し文】
黔(けん)に驢(ろ)無し、好事者(こうじしゃ)有りて船に載せて以(もっ)て入る。至れば則(すなは)ち用ゐる所無く、之を山下(さんか)に放つ。虎、之を見て、龐然(ほうぜん)たる大物なり、以(おも)へらく神なりと。…他日(たじつ)、驢一たび鳴く。虎大いに駭(おどろ)きて遠く遁(のが)る。…然(しか)れども往来(わうらい)して之を視るに、異能(いのう)無き者と覚(さと)る。…稍(やうや)く近づき益(ますます)狎(な)れ、蕩倚衝冒(たういしょうぼう)するに、驢、怒りに勝(た)へず、之を蹄(け)る。虎、因(よ)りて喜びて曰く、「技(ぎ)は此(こ)こに止(とど)まるのみ。」と。因りて跳踉(ちょうりょう)し大いに吼(ほ)え、其の喉(のんど)を断ち、其の肉を尽くして、乃(すなは)ち去る。
【現代語訳】
【問題】
当初はロバを「神」だと恐れていた虎が、最終的にロバを襲うことができたのはなぜか。その直接的なきっかけとして、最も適当なものを次の中から一つ選べ。
- ロバを挑発した際に怒って蹴ってきたのを見て、ロバの攻撃手段が「蹴ること」しかないとその能力の底を見切ったから。
- 何度も観察するうちに、ロバには特別な能力がないことが分かり、神ではないと確信したから。
- 最初は恐ろしかったロバの鳴き声に、何度も聞くうちにすっかり慣れてしまい、恐怖心がなくなったから。
- 空腹に耐えかね、神かもしれないという恐怖心よりも、食欲が勝ってしまったから。
- ロバが自分以外の動物を襲わない温厚な性格であることを見抜き、反撃されないと安心したから。
- ロバが自分を蹴ったことに逆上し、我を忘れて思わず飛びかかってしまったから。
- 自分の正体が神ではなくただのロバだと見抜かれたことに気づき、ロバが諦めてしまったから。
- 物好きな人がロバを連れてきただけで、土地の神ではないことが判明したから。
- ロバの蹴りが思いのほか弱く、全く自分には通用しないとわかったから。
- 自分の体をぶつけてもロバが抵抗しなかったため、攻撃する意志がないと判断したから。
【正解と解説】
正解:1
- 選択肢1:◎ 虎の行動は「観察(異能無しと覚る)」→「接近・挑発(蕩倚衝冒)」→「相手の反撃(蹄之)」→「能力の分析と結論(技止此耳)」という段階を踏んでいる。その最終段階であり、攻撃の直接的な引き金となったのは、ロバの「技」が「蹄る」ことだけだと見切った瞬間である。これを的確に説明している。
- 選択肢2:「神ではない」と確信したのは襲うための前提条件だが、それだけではまだ襲ってはいない。最後の決め手を説明している1の方が「直接的なきっかけ」としてより適切。
- 選択肢3:鳴き声に慣れたのも前提条件の一つだが、まだこの段階では「敢へて搏たず」とあるように、攻撃には至っていない。
- 選択肢4:虎の動機が空腹であるという記述は本文にない。
- 選択肢5:温厚ではなく、怒って蹴っているため不適当。
- 選択肢6:「喜びて曰く」とあるように、逆上したのではなく、冷静に相手の能力を分析して喜んでいる。
- 選択肢7:ロバが諦めたという記述はない。
- 選択肢8:土地の神かどうかという点は問題ではない。虎にとって未知の存在であったことが重要。
- 選択肢9:蹴りの強弱より、「技がそれしかない」と能力の限界を知ったことの方が本質的な理由である。
- 選択肢10:抵抗しなかったのではなく、怒って蹴っている。
【覚えておきたい知識】
重要句法:限定形「~耳(のみ)」
- 意味:「~だけだ」「~にすぎない」。断定や限定の意味を強調する終助詞。「而已」と書いて「のみ」と読む場合と同じ働きをする。
- 本文の例:「技止此耳(技は此に止まるのみ)」→ 技はこれっぽっちか、これだけだ。
- 相手の能力や価値を低く見て断定するような、強いニュアンスを持つことが多い。
重要単語
- 黔(けん):中国の地名。現在の貴州省あたり。
- 驢(ろ):ロバ。
- 好事者(こうじしゃ):物好きな人。風流人。
- 龐然(ほうぜん)たる:巨大なさま。非常に大きいさま。 * 異能(いのう):常人にはない、並外れた能力。
- 狎(な)る:なれる。なれなれしくする。
- 蹄(け)る:(ひづめで)けること。
- 跳踉(ちょうりょう)す:躍りかかる。飛び跳ねる。
背景知識・故事成語:「黔驢の技(けんろのぎ)」
出典は、唐代の文学者・柳宗元(りゅうそうげん)の「三戒」という寓話集の中の一篇。この物語から、「黔驢の技」または「黔驢技窮す(けんろぎきゅうす)」という故事成語が生まれた。意味は、「見かけは立派だが、実際にはたいした能力もなく、底の浅いこと」のたとえ。最初に持っていた切り札を使い果たし、もはや他に能力がないことがばれてしまうこと。柳宗元は、この寓話を通して、見かけ倒しで実力のない役人を風刺したと言われている。