漢文対策問題 011(故事成語『鄭人の履を買ふ』)
本文
鄭人有欲買履者。先自度其足、而置之其坐。至之市、而忘操之。已得履、乃曰、「吾忘持度。」反帰取之。及反、市罷、遂不得履。人曰、「何不試之以足。」曰、「寧信度、無自信也。」
【書き下し文】
鄭人(ていひと)に履(くつ)を買(か)はんと欲する者有り。先(ま)づ自(みづか)ら其(そ)の足を度(はか)りて、之を其の坐(ざ)に置く。市(いち)に至りて、之を操(と)るを忘る。已(すで)に履を得て、乃(すなは)ち曰く、「吾(われ)度(たく)を持(じ)するを忘れたり。」と。反(かへ)りて帰(かへ)り之を取る。反るに及び、市罷(や)み、遂(つひ)に履を得ず。人曰く、「何(なん)ぞ之を試すに足を以(もっ)てせざる。」と。曰く、「寧(むし)ろ度を信ぜんも、自らを信ずること無からん。」と。
【現代語訳】
鄭の国の人で、靴を買おうとする者がいた。まず自分でその足のサイズを測り、その寸法を書いた型を自分の座席に置いてきた。市場に着いてから、その型を持ってくるのを忘れたことに気づいた。すでによさそうな靴を見つけていたが、そこで言った、「しまった、寸法を持ってくるのを忘れた。」と。彼は家に帰って型を取ってくることにした。彼が家から戻ってきた時には、市場はもう終わっており、とうとう靴を手に入れることはできなかった。ある人が言った、「どうしてご自分の足で(靴を)試さなかったのですか。」と。(男は)答えて言うには、「(不確かな)自分自身を信じるよりは、むしろ(確かな)寸法の方を信じます。」と。
【問題】
この鄭の国の男が、結局、靴を買えなかった根本的な原因は何か。本文に即して最も適当なものを次の中から一つ選べ。
- 自分の足という現実そのものよりも、足型というデータの方を絶対的に信用する、融通の利かない頭の固さ。
- 非常に忘れっぽい性格で、肝心な足型を持ってくるのを忘れてしまったという、うっかりミス。
- 自分の足の感覚に全く自信がなく、自分の判断で物事を決めることができない優柔不断さ。
- 市場で靴を試着することを、はしたない行為だと考える、鄭の国の厳格な風習。
- 家に帰って足型を取ってくるのが面倒になり、靴を買うのを諦めてしまった、怠惰な心。
- 市場の靴はどれも質が悪く、足型に合うものが一つもなかったという、商品側の問題。
- 他人から「なぜ足で試さないのか」と指摘され、意地になって自分のやり方を変えなかった、頑固な性格。
- せっかく家に帰ったのに、市場が閉まる時間を計算に入れていなかった、計画性のなさ。
- 彼は足に障害を抱えており、自分の足で試すことが物理的に不可能であったという、やむを得ない事情。
- 足型を神聖なものと見なし、それなしで買い物をすることは許されないという、特殊な信仰心。
【正解と解説】
正解:1
- 選択肢1:◎ 「寧信度、無自信也(むしろ度を信ぜんも、自らを信ずること無からん)」という最後のセリフが全てを物語っている。現実の「足」よりも、データである「度」を信じるという、本末転倒で頭の固い考え方こそが、この話が風刺する根本的な原因である。
- 選択肢2:忘れっぽいのは事実だが、それは物語のきっかけに過ぎない。なぜ忘れた後に「足で試す」という選択をしなかったのか、という点が問題の本質である。
- 選択肢3:自信がないのは事実だが、その理由が「データ(度)への盲信」にあることまで踏み込んだ1の方が、より的確な説明である。
- 選択肢4:鄭の国の風習については本文に一切記述がない。
- 選択肢5:男は実際に家に戻っており、怠惰ではない。
- 選択肢6:商品の質については本文に一切記述がない。
- 選択肢7:「人曰く」の時点で男はすでに靴を買い損ねており、指摘されて意地になったわけではない。
- 選択肢8:計画性のなさも一因かもしれないが、より根本的な原因は彼の思考様式にある。
- 選択肢9:足に障害があるという記述は全くない。
- 選択肢10:特殊な信仰心というよりは、方法論への固執として描かれている。
【覚えておきたい知識】
重要句法:比較・選択形「寧(むし)ろA、無(な)クB」
- 意味:「むしろAをしても、Bはしない」「Bするよりは、むしろAする方がよい」。二つのものを比較し、一方を強く選択する意を表す。
- 本文の例:「寧信度、無自信也(寧ろ度を信ぜんも、自らを信ずること無からん)」→ (自分の足を信じるよりは)むしろ寸法の方を信じよう。自分の足は信じない。
- この句法は、話者の強い価値観や頑固さを示す際によく用いられる。
重要単語
- 履(り/くつ):靴。履物。
- 度(たく):①(動詞)はかる。 ②(名詞)ものさし。寸法。ここでは②の意味で使われている。
- 坐(ざ):座席。座る場所。
- 操(と)る:手に持つ。携帯する。
- 市(いち):市場。
- 罷(や)む:終わる。閉まる。
背景知識・故事成語:「鄭人の履を買ふ(ていひとのくつをかう)」
出典は、法家思想の集大成である『韓非子(かんぴし)』。この物語から、「融通が利かず、古いやり方や規則にばかりこだわって、現実の状況に対応できないこと」のたとえとして使われる。著者の韓非子は、現実の状況に合わせて法を整備すべきだと考える「法家」の思想家であり、この話は、古い伝統や形式ばかりを重んじる「儒家」の思想家たちを痛烈に皮肉ったものだとされている。目の前にある「自分の足」という現実を無視して、過去のデータである「寸法」を盲信する男の姿に、その風刺が込められている。