漢文対策問題 010(故事成語『知音』『断琴』)
本文
伯牙善鼓琴、鍾子期善聴。伯牙鼓琴、志在登高山、鍾子期曰、「善哉、峨峨兮若泰山。」志在流水、鍾子期曰、「善哉、洋洋兮若江河。」鍾子期死、伯牙破琴絶弦、終身不復鼓琴。以為世無足為鼓琴者。
【書き下し文】
伯牙(はくが)は善(よ)く琴(こと)を鼓(こ)し、鍾子期(しょうしき)は善く聴く。伯牙、琴を鼓すに、志(こころざし)高山(こうざん)に登るに在れば、鍾子期曰く、「善(ぜん)なるかな、峨峨(がが)として泰山(たいざん)の若(ごと)し。」と。志、流水(りゅうすい)に在れば、鍾子期曰く、「善なるかな、洋洋(ようよう)として江河(こうが)の若(ごと)し。」と。鍾子期死す。伯牙は琴を破り弦(げん)を絶(た)ち、終身(しゅうしん)復(ま)た琴を鼓せず。以(おも)へらく、世に復た為(ため)に琴を鼓するに足る者無しと。
【現代語訳】
伯牙は琴を弾くのが巧みで、鍾子期はそれを聴き分けるのが巧みであった。伯牙が琴を弾く時、その心に高い山に登るイメージがあれば、鍾子期は言った、「すばらしい。高くそびえ立つ様子はまるで泰山のようだ。」と。その心に流れる川のイメージがあれば、鍾子期は言った、「すばらしい。広々と豊かに流れる様子はまるで長江や黄河のようだ。」と。鍾子期が亡くなった。すると伯牙は琴を叩き壊して弦を断ち切り、生涯二度と琴を弾くことはなかった。(もはや)この世には、自分が琴を弾いて聴かせるのに値する者はいない、と思ったからである。
【問題】
「伯牙破琴絶弦」とあるが、伯牙が琴を壊し、二度と弾かなくなったのはなぜか。その理由として最も適当なものを選べ。
- 親友の鍾子期が亡くなった悲しみのあまり、衝動的に大切な琴を壊してしまったから。
- 自分の音楽の真意を完璧に理解してくれた唯一無二の聴き手を失い、もはやこの世に弾いて聴かせる価値のある相手がいないと絶望したから。
- 鍾子期の死後、自分の琴の腕が鈍ってしまい、かつてのような名演奏ができなくなったから。
- 鍾子期と「どちらかが先に死んだら、もう一方は琴を弾くのをやめる」という約束をしていたから。
- 親友の死を悼み、音楽を絶つことで、生涯をかけて喪に服すという固い決意を示したから。
- 鍾子期ほどの聴き手がいない世の中で琴を弾き続けることは、亡き親友に対する裏切りだと考えたから。
- 琴の音色を聞くたびに鍾子期のことを思い出してしまい、悲しみに耐えられなくなったから。
- 自分の演奏を誰も理解できないだろうという、世間の人々に対する深い絶望と不信感を抱いたから。
- 自分の演奏のせいで鍾子期が死んだのではないかと自分を責め、罪悪感から琴を弾けなくなったから。
- 琴を弾くという行為そのものが、鍾子期のいない世界では虚しく、意味のないものに感じられたから。
【正解と解説】
正解:2
- 選択肢1:単なる衝動的な行為ではなく、「以為世無足為鼓琴者」という明確な理由に基づいている。
- 選択肢2:◎ 本文末尾の「世に復た為に琴を鼓するに足る者無しと以へらく(この世にはもう、自分が演奏して聴かせるのに値する者はいないと思った)」という理由説明に完全に合致する。伯牙にとって音楽は鍾子期という聴き手があって初めて成立するものであり、その聴き手の喪失が演奏の意味そのものを失わせた、という核心を捉えている。
- 選択肢3:腕が鈍ったという記述はない。
- 選択肢4:約束があったという記述はない。
- 選択肢5:喪に服すという行為ではあるが、その根底にあるのは「聴き手がいない」という、より本質的な理由である。
- 選択肢6:裏切りというよりは、聴き手がいないことによる無意味さ、虚しさが動機である。
- 選択肢7:悲しみが理由の一部であることは確かだが、琴を「破り」「絶つ」という決定的行動の直接の理由は、本文に明記された「聴き手の不在」である。
- 選択肢8:内容は正しいが、「絶望と不信感」という表現より、「聴かせる価値のある相手がいない」と具体的に述べた2の方が、本文の表現に忠実である。
- 選択肢9:自分を責めたという記述はない。
- 選択肢10:内容は非常に近いが、「なぜ」意味がないのかという理由(=真の聴き手の不在)まで踏み込んでいる2の方が、より根本的な説明として優れている。
【覚えておきたい知識】
重要句法:可能・価値「足(た)ル」と否定「不復(また~ず)」
- 可能・価値「~ニ足ル」:「~する価値がある」「~するのに十分だ」。本文の「為に琴を鼓するに足る者無し」は、「(自分の)ために琴を弾いてやる価値のある者はいない」という意味。単なる可能・不可能だけでなく、価値判断を含む重要な句法。
- 否定「不復(また~ず)」:「二度と~しない」。ある行為がそれ以降、決して行われなくなることを示す強い否定。本文では伯牙の固い決意を表している。
重要単語
- 鼓(こ)す:(太鼓を)打つ。(琴などの弦楽器を)弾く、奏でる。
- 善(ぜん)なるかな:すばらしいなあ。感嘆の意を表す言葉。
- 峨峨(がが)として:山などが高く険しくそびえ立つさま。
- 洋洋(ようよう)として:水が広々と豊かに流れるさま。
- 終身(しゅうしん):生涯。命を終えるまで。
背景知識・故事成語:「知音(ちいん)」「伯牙絶弦(はくがぜつげん)」
出典は『列子』。この物語が語源となり、二つの故事成語が生まれた。「知音」は、自分の奏でる音(心)を真に理解してくれる人のこと。転じて、互いの心を深く理解し合っている親友を指す。「伯牙絶弦」は、その知音である鍾子期を失った伯牙が琴の弦を断ち切ったことから、無二の親友を失った深い悲しみを表すたとえ。また、自分の価値を真に理解してくれる人がいなくなったため、自慢の芸や才能を披露するのをやめてしまうことのたとえにも使われる。