152(『史記』刺客列伝 より 荊軻、秦王を刺す)
本文
秦王、荊軻に見え、咸陽宮。荊軻、樊於期が頭函を奉り、而て秦舞陽、地図を奉り、以て次いで進む。階に至り、秦舞陽、色変じ、震恐す。群臣怪之。荊軻、顧りみて舞陽を笑ひ、前みて謝して曰く、「北蕃の鄙人、未だ嘗て天子に見えず。故に振慴す。願はくは大王、少しく之を仮借し、前みて意を畢へしめよ。」と。
荊軻、地図を取りて之を奏す。秦王、地図を披く。(1)図窮まりて匕首見はる。因りて左手にて秦王の袖を把り、右手にて匕首を持ちて之に揕(さ)さんとす。未だ身に及ばず、秦王驚き、自ら引きて起つ。袖絶ゆ。剣を抜く。剣長し、其の室を操る。急にして、剣堅く、故に環より引けども、遂に抜くこと能はず。
荊軻、王を逐ふ。王、柱を環りて走る。群臣皆愕き、卒として起こるは不意にして、尽く其の度を失ふ。…(中略)…(2)殿上の臣、皆な兵を負はず。諸郎中、兵を執り、皆な殿下に陳すれども、詔有るに非ずんば上るを得ず。
是の時、侍医の夏無且、其の奉ずる所の薬嚢を以て、荊軻に提(なげう)つ。秦王、柱を環りて走る。…(中略)…左右乃ち曰く、「王、剣を負へ。」と。剣を負ひ、遂に剣を抜き、荊軻の左股を撃つ。荊軻廃す。乃ち匕首を引きて以て秦王に擿(なげう)つ。中らず、銅柱に中る。(3)荊軻笑ひて、箕踞して罵りて曰く、「事の成らざりし所以の者は、生きて之を劫し、必ず約契を得て以て太子に報いんと欲せしを以てなり。」と。
【書き下し文】
秦王(しんのう)、荊軻(けいか)に見(まみ)ゆ、咸陽宮(かんようきゅう)に。荊軻、樊於期(はんおき)が頭函(とうかん)を奉じ、而(して)秦舞陽(しんぶよう)、地図を奉じ、以て次いで進む。階(きざはし)に至り、秦舞陽、色を変じ、震恐(しんきょう)す。群臣之を怪しむ。荊軻、顧(かへり)みて舞陽を笑ひ、前(すす)みて謝して曰く、「北蕃(ほくばん)の鄙人(ひじん)、未(いま)だ嘗(かつ)て天子に見(まみ)えず。故に振慴(しんしょう)す。願はくは大王、少(すこ)しく之を仮借(かしゃく)し、前みて意を畢(つく)へしめよ。」と。
荊軻、地図を取りて之を奏す。秦王、地図を披(ひら)く。(1)図窮(きは)まりて匕首(ひしゅ)見(あらは)る。因(よ)りて左手(さて)にて秦王の袖を把(と)り、右手(うて)にて匕首を持ちて之にM5;さんとす。未だ身に及ばず、秦王驚き、自ら引きて起(た)つ。袖絶ゆ。剣を抜く。剣長し、其の室(しつ)を操(と)る。急にして、剣堅し、故に環(かん)より引けども、遂に抜くこと能はず。
荊軻、王を逐(お)ふ。王、柱を環(めぐ)りて走る。群臣皆愕(おどろ)き、卒(にはか)として起こるは不意にして、尽(ことごと)く其の度(ど)を失ふ。…(中略)…(2)殿上の臣、皆な兵(へい)を負(お)はず。諸郎中(しょろうちゅう)、兵を執り、皆な殿下に陳(つら)なるも、詔(みことのり)有るに非ずんば上るを得ず。
是の時、侍医(じい)の夏無且(かむしょ)、其の奉ずる所の薬嚢(やくのう)を以て、荊軻に提(なげう)つ。秦王、柱を環りて走る。…(中略)…左右乃(すなは)ち曰く、「王、剣を負(お)へ。」と。剣を負ひ、遂に剣を抜き、荊軻の左股(さこ)を撃つ。荊軻廃(はい)す。乃ち匕首を引きて以て秦王に擿(なげう)つ。中(あた)らず、銅柱(どうちゅう)に中る。(3)荊軻笑ひて、箕踞(ききょ)して罵(ののし)りて曰く、「事の成らざりし所以(ゆゑん)の者は、生きて之を劫(おびやか)し、必ず約契(やくけい)を得て以て太子に報いんと欲せしを以てなり。」と。
【現代語訳】
荊軻は地図を受け取って、これを秦王に献上した。秦王が地図を広げると、(1)地図の巻き終わりに、毒を塗った匕首が現れた。すかさず荊軻は左手で秦王の袖をつかみ、右手で匕首を持って秦王を刺そうとした。しかし、刃が体に届く前に、秦王は驚き、身を引いて立ち上がった。袖はちぎれた。秦王は剣を抜こうとした。しかし剣が長すぎて、(鞘を)手で押さえることしかできない。急なことで、剣が固くはまっていたため、刀装具の環から引っ張ったが、とうとう抜くことができなかった。
荊軻は秦王を追い、秦王は柱の周りをぐるぐると逃げ回った。群臣はみな驚き、あまりに突然の出来事だったので、すっかりうろたえてしまった。…(中略)…(2)殿上にいる家臣たちは、みな武器を帯びていなかった。多くの近習たちは、武器を持って皆、殿下に並んでいたが、(王の)命令がなければ殿上に上ることはできなかった。
その時、侍医の夏無且が、自分が捧げ持っていた薬袋を、荊軻に投げつけた。秦王は、なおも柱の周りを逃げ回っていた。…(中略)…側近たちが叫んで言った、「王よ、剣を背負うようにしてください。」と。(そのようにして)剣を背負うようにして、やっと剣を抜き、荊軻の左腿を斬りつけた。荊軻は倒れた。そこで、匕首を秦王に投げつけたが、当たらず、銅の柱に当たった。(3)荊軻は(最期に)笑い、両足を投げ出して座ると、罵って言った、「計画が成功しなかった理由は、お前を生きたまま脅し、必ず条約を結ばせて(燕の)太子に恩返ししようと欲張ったからだ。」と。
【設問】
問1 秦の宮殿のどのような規則が、結果的に荊軻の暗殺計画を助けることになったか。本文から二つ指摘し、それぞれ説明せよ。
【解答・解説】
解答例:
一、殿上の臣は皆兵を負わず:殿上にいる高官たちは、規則で武器の携帯を許されておらず、丸腰だったため、王が襲われても素手で助けることしかできなかったこと。
二、詔有るに非ずんば上るを得ず:武装した護衛兵(諸郎中)は殿下に控えているが、王の命令がなければ殿上に上がることができず、すぐには王を助けに来られなかったこと。
問2 絶体絶命の秦王が、荊軻から逃げ切れた要因として、本文に挙げられている幸運な出来事を二つ答えよ。
【解答・解説】
解答例:
一、侍医の夏無且が、薬袋を荊軻に投げつけ、一瞬の隙を作ったこと。
二、左右の者たちが、「王、剣を負へ」と叫び、長い剣を抜くための的確なアドバイスをしたこと。
問3 傍線部(3)の荊軻の最期の言葉からうかがえる、彼の計画が失敗に終わったと彼自身が分析する原因は何か。最も適当なものを次から選べ。
- 単に秦王を殺すだけでなく、生け捕りにして条約を結ばせようという、より困難な目標を立ててしまったこと。
- 秦王を殺すこと自体を目的とせず、燕の太子の恩に報いることを優先してしまったこと。
- 秦王を生きたまま脅すことにこだわり、匕首を投げるという最後の機会を逃してしまったこと。
- 太子との約束を最後まで守ろうとしたが、自分の力が及ばなかったこと。
【解答・解説】
正解:1
荊軻は、「事の成らざりし所以(計画が成功しなかった理由)」は、「生きて之を劫し、必ず約契を得て(生きたまま脅し、必ず条約を得ようとした)」からだと述べている。もし、最初から目的が「殺害」だけであれば、匕首が現れた瞬間に、ためらわずに刺すことができたかもしれない。しかし、彼は「生け捕りにして脅す」という、より難易度の高い目標を立てていたため、一瞬の躊躇が生まれ、秦王に逃げる隙を与えてしまった。この「欲張った」ことが、彼自身の分析する敗因である。
【覚えておきたい知識】
重要単語
- 荊軻(けいか):戦国時代の刺客。燕の太子丹の依頼を受け、秦王(後の始皇帝)の暗殺を試みた。
- 秦舞陽(しんぶよう):荊軻の副使として同行した、燕の若者。
- 北蕃の鄙人(ほくばんのひじん):北の田舎者。謙遜の言葉。
- 図窮まりて匕首見はる(ずきわまりてひしゅあらわる):隠していた物事が、最後に露見することのたとえ。この故事に由来。
- 匕首(ひしゅ):両刃の短剣。あいくち。
- 揕(さ)す:刺す。
- 室(しつ)を操(と)る:剣の鞘を手で押さえる。
- 度(ど)を失ふ:うろたえる、冷静さを失う。
- 詔(みことのり):天子の命令。
- 箕踞(ききょ):両足を前へ投げ出して座ること。相手を侮った、無礼な座り方。
- 約契(やくけい):契約、条約。
背景知識:荊軻(けいか)、秦王を刺す
出典は『史記』刺客列伝。戦国時代の末期、強大な秦の脅威にさらされた燕の太子丹が、最後の望みを託して刺客・荊軻に秦王(後の始皇帝)の暗殺を依頼した、壮絶な物語。本文はそのクライマックスである。荊軻は、秦の裏切り者の将軍・樊於期の首と、燕の領地である督亢の地図を献上すると偽って秦王に接近し、暗殺を試みた。この逸話は、その計画の周到さ、宮殿での息詰まるような緊張感、そして歴史を変えかけた一瞬の攻防を描いた、中国史上最も有名な暗殺未遂事件として知られる。『史記』の中でも、屈指の名文とされる部分である。