150(『史記』背水の陣の総合理解)

本文

信乃使万人先行、出、背水陳。趙軍望見而大笑。…(中略)…信、詳棄鼓旗、走水上軍。水上軍開入之、復疾戦。趙軍果空壁争信鼓旗、逐信。信已入水上軍、軍皆殊死戦、不可敗。
信所出奇兵二千騎、疾駆趙壁、抜趙旗、立漢赤旗二千。趙軍已不能得信等、欲還帰壁、壁皆漢赤旗、大驚、(1)以漢為皆已得趙王将矣、遂乱、遁走。漢軍夾撃、大破虜趙軍。
諸将問曰、「兵法、右背山陵、前左水沢。今者将軍令臣等反背水陳。臣等不服。然竟以勝、此何術也。」信曰、「此在兵法、顧諸君不察耳。兵法不曰、『陥之死地而後生、置之亡地而後存。』且信非得素拊循士大夫也、此所謂『駆市人而戦之』。(2)其勢非置之死地、使人人自為戦、今予之生地、皆走、寧尚可得而用之乎。」諸将皆服曰、「(3)非吾属之所及也。」

【書き下し文】
信(しん)、乃(すなは)ち万人をして先行し、出でて、水を背にして陳(じん)せしむ。趙軍、望み見て大いに笑ふ。…(中略)…信、詳(いつは)りて鼓旗を棄(す)て、水上(すいじょう)の軍に走る。水上の軍、開きて之を入れ、復(ま)た疾戦(しっせん)す。趙軍、果たして壁を空(むな)しうして信の鼓旗を争ひ、信を逐(お)ふ。信、已(すで)に水上の軍に入り、軍、皆殊死(しゅし)して戦ひ、敗る可(べ)からず。
信の出だせる奇兵(きへい)二千騎、疾(と)く趙の壁に駆(か)け、趙の旗を抜き、漢の赤旗(せっき)二千を立つ。趙軍、已に信等を所得(う)ること能(あた)はず、還(かへ)りて壁に帰らんと欲するに、壁は皆漢の赤旗なり。大いに驚き、(1)漢を以て皆已に趙王の将を得たりと為し、遂(つひ)に乱れ、遁走(とんそう)す。漢軍、夾撃(きょう撃)し、大いに趙軍を破り虜(とりこ)にす。
諸将問ひて曰く、「兵法に、右に山陵を背にし、前に水沢を左にすと。今者、将軍、臣等をして反りて水を背にして陳せしむ。臣等服せざりき。然るに竟に以て勝つ。此れ何の術ぞや。」と。信曰く、「此は兵法に在り。顧だ諸君の察せざるのみ。兵法に曰はずや、『之を死地に陥れて後に生き、之を亡地に置きて後に存す。』と。且つ信、素より士大夫を拊循するを得たるに非ざるなり。此れ所謂『市人を駆りて之と戦ふ』なり。(2)其の勢ひ、之を死地に置きて、人をして人自ら戦はしむるに非ずんばあらず。今、之に生地を予へば、皆走らん。寧んぞ尚ほ得て之を用う可けんや。」と。諸将皆服して曰く、「(3)吾が属の及ぶ所に非ざるなり。」

【現代語訳】
韓信は、一万の兵を先に行かせ、川を背にして陣を敷かせた。趙の軍はこれを遠くから見て大笑いした。…(中略)…韓信はわざと旗や太鼓を打ち捨て、川沿いの本隊へと敗走した。川沿いの部隊は陣を開いて彼らを迎え入れ、再び激しく戦った。趙軍は案の定、城壁を空にして韓信の旗や太鼓を奪い合い、韓信を追撃した。韓信が川沿いの本隊に入ると、兵士たちは皆決死の覚悟で戦い、打ち破ることができなかった。
韓信が出しておいた伏兵二千騎は、素早く趙の空になった城壁に駆け込み、趙の旗を抜いて、漢の赤い旗二千本を立てた。趙軍は韓信らを捕らえることができず、城壁に戻ろうとしたところ、城壁にはすべて漢の赤旗が立っていた。彼らは大いに驚き、(1)漢軍がすでに趙王の将軍たちを捕らえたのだと思い込み、とうとう混乱して逃げ出した。漢軍はこれを挟み撃ちにし、趙軍を徹底的に打ち破って捕虜にした。
諸将たちは尋ねて言った、「兵法書には、『右に山や丘を背にし、前や左に川や沢を置くのが良い陣形だ』とあります。今回、将軍は我々に、逆に川を背にして陣を敷くよう命じられました。我々は納得しておりませんでした。しかし、ついに勝利を収められました。これはいかなる戦術だったのでしょうか。」と。韓信は言った、「これも兵法書に書いてあることだ。ただ、君たちが気づかなかっただけだ。兵法書にこうはないか、『兵士を死地に陥れてこそ、かえって生き残り、絶体絶命の地に置いてこそ、かえって存続する』と。それに、私は日頃から兵士たちを手なずけていたわけではない。これはいわば『素人集団を駆り立てて戦わせる』ようなものだ。(2)その状況では、彼らを死地に置き、一人ひとりが自分のために必死に戦うようにさせるしかなかったのだ。もし今、彼らに逃げ道となる安全な土地を与えていたら、皆逃げ出していただろう。どうして彼らを用いることなどできようか、いや、できなかっただろう。」と。諸将はみな感服して言った、「(3)我々の到底及ぶところではありません。」

【設問】

問1 韓信の作戦において、趙軍の心理をどのように読み、利用したか。最も適当なものを次から選べ。

  1. 趙軍が兵法の定石しか知らないことを見抜き、型破りな布陣で油断させ、空になった本拠地を奪うという罠に誘い込んだ。
  2. 趙軍の将軍が臆病であることを見抜き、偽りの敗走を信じ込ませることで、追撃をためらわせた。
  3. 趙軍の兵士たちが、自軍の勝利を確信すると、規律が緩んで手柄争いを始めることを見越して、偽の戦利品をばらまいた。
  4. 趙軍が、漢軍の伏兵を極度に恐れていること知り、伏兵がいるかのように見せかけて、混乱させた。
【解答・解説】

正解:1

韓信の作戦は、敵の心理を読むことに基づいている。①まず「背水の陣」という定石破りの布陣で、敵に「素人だ」と油断させる(趙軍望見而大笑)。②次に、偽りの敗走(詳棄鼓旗)を見せることで、敵を勝利と手柄への欲望で駆り立て、本拠地を空にさせる(趙軍果空壁争信鼓旗)。これらはすべて、趙軍が定石通りの思考しかできず、油断しやすいという心理を正確に読んで、利用したものである。

問2 傍線部(2)「其勢非置之死地、使人人自為戦」の句法と解釈の組み合わせとして、最も適当なものを次から選べ。

  1. 【句法】反語 - 【解釈】どうして死地に置いて、一人ひとりが自分のために戦うようにさせられようか。
  2. 【句法】使役 - 【解釈】死地に置くことによって、人々は自然と自分のために戦うようになる。
  3. 【句法】二重否定 - 【解釈】死地に置いて、一人ひとりが自分のために戦うようにさせないわけにはいかなかった。
  4. 【句法】比較 - 【解釈】死地に置くよりも、一人ひとりが自分のために戦うようにさせる方が良い。
【解答・解説】

正解:3

この句は「非ずんばあらず」という二重否定の形をとっている。「Aに非ずんばあらず」は、「Aでなければならない」「Aするしかない」という、他に選択肢のない強い肯定や限定を表す。したがって、「その状況(勢)では、彼らを死地に置いて、一人ひとりに自分のために戦わせる以外に方法はなかった」という意味になり、選択肢3が最も正確である。

問3 傍線部(3)「非吾属之所及也」という言葉に至った、諸将たちの心境の変化を最もよく表しているものはどれか。次から選べ。

  1. 不信 → 驚嘆 → 畏敬
  2. 反感 → 理解 → 感服
  3. 不安 → 安堵 → 称賛
  4. 軽蔑 → 困惑 → 尊敬
【解答・解説】

正解:2

諸将は、戦の前は韓信の作戦に「不服」であった。これは、定石に反する作戦への反感や不信である。しかし、戦いに勝利し、韓信からその作戦が兵法の深奥と自軍の特性に基づいた、極めて合理的なものであったという説明を聞き、その意図を初めて「理解」した。そして、その自分たちには思いもよらなかった深い洞察力に対し、「及ぶ所に非ず」と、心から「感服」したのである。「反感→理解→感服」という流れが、彼らの心境の変化を最も的確に表している。

【覚えておきたい知識】

重要句法

重要単語

背景知識:背水の陣(はいすいのじん)

出典は『史記』淮陰侯列伝。漢の将軍・韓信が、自軍よりはるかに大軍である趙軍を破った「井陘の戦い」での故事。わざと自軍を川のほとりという逃げ場のない絶体絶命の場所に配置することで、兵士たちに「ここで戦わねば死ぬ」という覚悟をさせ、決死の力を引き出して勝利した。このことから、絶体絶命の状況で必死の覚悟で物事に臨むことのたとえとして、「背水の陣」という言葉が使われる。常識にとらわれない韓信の天才的な戦術を示す代表的なエピソードである。

レベル:共通テスト標準~発展|更新:2025-07-26|問題番号:150