055(『孟子』梁恵王上 より 五十歩百歩)

本文

梁恵王曰、「寡人之於国也、尽心焉耳矣。河内凶、則移其民於河東、移其粟於河内。河東凶亦然。察隣国之政、無如寡人之用心者。(1)隣国之民不加少、寡人之民不加多、何也。」
孟子対曰、「王好戦。請以戦喻。填然鼓之、兵刃既接、棄甲曳兵而走。或百歩而後止、或五十歩而後止。(2)以五十歩笑百歩、則何如。」曰、「不可。直不百歩耳。是亦走也。」曰、「王如知此、則無望民之多於隣国也。不違農時、穀不可勝食也。数罟不入洿池、魚鼈不可勝食也。斧斤以時入山林、材木不可勝用也。穀与魚鼈不可勝食、材木不可勝用、是使民養生喪死無憾也。(3)養生喪死無憾、王道之始也。」

【書き下し文】
梁(りょう)の恵王(けいおう)曰く、「寡人(かじん)の国に於(お)けるや、心を尽くせるのみ。河内(かだい)凶(きょう)なれば、則(すなは)ち其(そ)の民を河東(かとう)に移し、其の粟(ぞく)を河内に移す。河東凶なれば亦(ま)た然(しか)り。隣国(りんごく)の政(まつりごと)を察(さっ)するに、寡人の心を用うるがごとき者無し。(1)隣国の民、加(ますま)す少(すく)なくならず、寡人の民、加す多くならざるは、何(なん)ぞや。」と。
孟子(もうし)対(こた)へて曰く、「王、戦ひを好む。請(こ)ふ、戦ひを以(もっ)て喩(たと)へん。填然(てんぜん)として之(これ)を鼓(こ)し、兵刃(へいじん)既に接(せっ)するに、甲(こう)を棄(す)て兵を曳(ひ)きて走(に)ぐ。或(ある)いは百歩にして後に止(や)み、或いは五十歩にして後に止む。(2)五十歩を以て百歩を笑はば、則ち何如(いかん)。」と。曰く、「不可(ふか)なり。直(た)だ百歩ならざるのみ。是(これ)も亦走れるなり。」と。曰く、「王、如(も)し此(これ)を知らば、則ち民の隣国より多からんことを望むこと無かれ。農時(のうじ)に違(たが)はずんば、穀(こく)は勝(あ)げて食(くら)ふべからざるなり。数罟(さくこ)を洿池(おち)に入(い)れずんば、魚鼈(ぎょべつ)は勝げて食ふべからざるなり。斧斤(ふきん)を時を以て山林(さんりん)に入らしむれば、材木は勝げて用ふべからざるなり。穀と魚鼈と勝げて食ふべからず、材木勝げて用ふべからずんば、是(こ)れ民をして生を養ひ死を喪(とむら)ふに憾(うら)み無からしむるなり。(3)生を養ひ死を喪ふに憾み無からしむるは、王道(おうどう)の始めなり。」と。

【現代語訳】
梁の恵王が言った、「私は国に対して、心を尽くしている。河内地方が凶作になれば、そこの民を河東地方に移住させ、河東の穀物を河内へ運んでやる。河東が凶作のときもまた同様だ。隣国の政治を観察してみても、私ほど人民のために心を用いている者はいない。(1)それなのに、隣国の民が特に減るでもなく、私の国の民が特に増えるでもないのは、なぜだろうか。」
孟子が答えて言った、「王は戦争がお好きです。どうか戦争でたとえさせてください。どんと太鼓を鳴らして合戦となり、いざ敵と刃を交えるという時になって、鎧を脱ぎ捨て武器を引きずって逃げ出す兵士がいたとします。ある者は百歩逃げてから止まり、ある者は五十歩逃げてから止まりました。(2)この五十歩逃げた者が、百歩逃げた者を臆病だと笑ったとしたら、どうでしょうか。」と。恵王は言った、「それはだめだ。ただ百歩ではなかったというだけのこと。これも同じく逃げたのだ。」と。孟子は言った、「王がもしその道理をお分かりならば、民が隣国より多くなることなどお望みになるべきではありません。農作業の時期を妨げなければ、穀物は食べきれないほど実るでしょう。細かい網を池に入れさせなければ、魚や亀は食べきれないほど増えるでしょう。季節に合わせて木を切らせれば、材木は使いきれないほどになるでしょう。穀物や魚やすっぽんが食べきれず、材木が使いきれないようになれば、これは民が生きている者を養い、死んだ者を弔うのに何の心残りもないようにさせる政治です。(3)民に生きる上でも死を送る上でも心残りがないようにさせること、これこそが王道政治の第一歩なのです。」と。

【設問】

問1 傍線部(1)「隣国之民不加少、寡人之民不加多、何也」という恵王の疑問の根底には、どのような自己評価があるか。最も適当なものを次から選べ。

  1. 自分は隣国の王たちと同じくらいには、良い政治をしているという評価。
  2. 自分は隣国の王たちよりも、はるかに人民のために心を尽くした政治をしているという評価。
  3. 自分は隣国の王たちに比べ、軍事力で劣っているのではないかという評価。
  4. 自分は隣国の王たちと同様に、民を増やすことに失敗しているという評価。

問2 傍線部(2)「以五十歩笑百歩、則何如」という孟子のたとえ話の意図として、最も適当なものを次から選べ。

  1. 百歩逃げた兵士の方が、五十歩しか逃げなかった兵士よりも罪が重いことを王に確認するため。
  2. 戦場から逃げた兵士は、程度の差はあれ、みな同じく兵士としての役目を果たしていないことを王に気づかせるため。
  3. 恵王の政治も隣国の政治も、根本において王道から外れている点では大差ないことを暗に示すため。
  4. 戦争がいかに愚かなものであるかを説き、恵王に戦争を止めさせるため。

問3 傍線部(3)「養生喪死無憾、王道之始也」で孟子が述べる「王道」とは、どのような政治か。最も適当なものを次から選べ。

  1. 凶作の際に食料を融通するような、その場しのぎの仁政。
  2. 民衆が自給自足できるよう、国家が干渉しない自由放任の政治。
  3. 民衆の生活の基盤を安定させ、安心して暮らせるようにする根本的な政治。
  4. 民衆に贅沢をさせ、生活に満足を与えることで国の豊かさを示す政治。

問4 孟子がこの対話を通じて恵王に伝えたかった最も重要なことは何か。次の中から選べ。

  1. 恵王の政治は隣国と五十歩百歩であり、小手先の政策ではなく、民の生活を根本から支える王道政治に転換すべきである。
  2. 戦争は多くの兵士を臆病にするだけで無意味なので、一刻も早くやめて民の生活を豊かにすることに専念すべきである。
  3. 隣国の民が増えないのは、その国の王が恵王の政策を真似しているからに他ならず、もっと独創的な政策が必要である。
  4. 心を尽くして政治を行っても民が増えないのは天命であり、王は民の数の増減に一喜一憂すべきではない。
【解答・解説】

問1:正解 2

問2:正解 3

問3:正解 3

問4:正解 1

【覚えておきたい知識】

重要句法

重要単語

背景知識:五十歩百歩(ごじっぽひゃっぽ)

出典は儒教の経書の一つである『孟子』梁恵王上篇。孟子は戦国時代の儒学者で、孔子の思想を発展させ、特に「性善説」と「王道政治」を説いたことで知られる。この話は、梁(魏)の恵王の問いに対し、孟子が王道政治の根本を説いた場面である。ここから、「少しの違いはあっても、本質的には同じようなものである」という意味の故事成語「五十歩百歩」が生まれた。表面的な違いに惑わされず、物事の本質を見極めることの重要性を示す教訓として用いられる。

レベル:共通テスト標準|更新:2025-07-26|問題番号:055