評論文対策問題 051(本文1000字・選択肢10個+英訳)
本文(抜粋)
現代において「つながり」は肯定的に語られることが多い。
SNSの普及は、時間や距離を超えて人とつながる手段を拡張し、「孤独を癒やす」「共感を得る」「情報を共有する」など、さまざまな恩恵をもたらしてきた。
だがその一方で、つながること自体が目的化し、「つながっていないと不安」という感覚が広がっていることも見逃せない。
他者と「共有している感覚」を絶えず求め、それを確認し合うことにエネルギーを使いすぎてしまうと、自分自身の内面と向き合う時間や、孤独の中で育まれる思考の豊かさが失われていく。
「つながる自由」はいつの間にか「つながらねばならない」という圧力に変わり、それに応じることが「よい関係性」の条件と見なされるようになる。
それは「つながりのための同調」を生み出し、違和感や疑問を抱えたまま声をあげられない空気を生み出してしまう。
たとえば、SNSで投稿に「いいね」を押す行為ひとつをとっても、それが共感の表明というより、「押さないと浮いてしまう」「関係性が崩れるかもしれない」といった不安からなされている場面は少なくない。
「つながり」は本来、安心や信頼を生むものであるはずだが、それが過剰になることで、逆に不自由さや沈黙を生み出すという逆説が現れている。
大切なのは、つながりを「手段」として捉え直すことであり、それが「目的」や「義務」に変わっていないかを立ち止まって問い直すことなのではないだろうか。
【問題】
筆者の主張に最も合致するものを選べ。
- つながりは強ければ強いほど、健全な関係が築ける。
- 他者との関係を深めるには、常に共感を表明し続ける必要がある。
- 孤独を避けるためには、日常的に誰かとつながっておくべきである。
- つながることに疲れたら、関係性を完全に断ち切るべきである。
- つながりは現代社会において絶対的な価値を持つ。
- つながりが目的化すると、同調や沈黙を強いる危険がある。
- つながることは人間関係の本質であり、問い直す必要はない。
- SNSのような関係性の可視化は、常に安心感をもたらす。
- 共感や「いいね」を強制することが、つながりを維持する方法である。
- つながりにおける自由は、孤独を排除することで得られる。
【正解と解説】
正解:6
- 選択肢1:× 強すぎるつながりが「不自由さ」や「沈黙」を生むとされる。
- 選択肢2:× 共感の「強制」が危険とされている。
- 選択肢3:× つながっていないことを不安に感じる風潮への懸念が示されている。
- 選択肢4:× 関係性の見直しこそが重要であり、断絶を推奨していない。
- 選択肢5:× 絶対視を避け、「問い直す姿勢」が求められている。
- 選択肢6:◎ 本文中盤〜後半「同調」「義務化」「沈黙」などの主張と一致。
- 選択肢7:× 「問い直し」こそ本文の最終的な結論。
- 選択肢8:× 可視化が安心とは限らず、圧力や不安の源ともなる。
- 選択肢9:× 共感の強制が「不自由さ」につながるとされている。
- 選択肢10:× 自由は「孤独を排除すること」ではなく、つながりを見直すことで得られる。
語句説明:
同調:他者の意見や態度に合わせて自分を変化させること。しばしば無意識的に行われる。
【本文の英訳】
In modern times, "connection" is often seen as something positive. With social media, we can stay linked across distances, easing loneliness and sharing thoughts. But when connection itself becomes the goal, it may turn into pressure—"I must stay connected"—draining time and energy. As people constantly seek shared experiences, they may lose the richness of solitary reflection. Connection, once a freedom, can become an obligation. This leads to enforced agreement and quiet conformity. Even clicking “like” may not show true empathy, but a fear of isolation. When connection brings more stress than support, we must pause. It's time to ask: Are we using connection as a tool—or has it become a chain?