古文対策問題 119(伊勢物語「東下り」全段精読・評論型長文)

【本文】

昔、男ありけり。
その男、身をえうなきものに思ひなして、京にはあらで、東の方へ住みなむとて行きけり。
みちのくのしのぶもぢずり、誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに。
かくて、旅路の空に、さまざまの歌を詠みつつ、山川のけしきを眺めて過ごしけり。
駿河なる宇津の山に至りて、道のほど遠ければ、いたく疲れにけり。
「駿河なる宇津の山べのうつつにも夢にも人に逢はぬなりけり」
かかる悲しみの中に、かの男は、やがて東路に消えゆきにけり。

【現代語訳】

昔、ある男がいた。
その男は、自分の身の上をつまらないものと考えて、都にとどまらず、東の方に住もうと旅立った。
「陸奥のしのぶもじずり、その模様のように、私は誰のせいで心が乱れ始めたのだろうか、自分のせいではないのに」と歌う。
こうして、旅の途中でいろいろな歌を詠みながら、山や川の景色を眺めて過ごした。
駿河の宇津の山に着いた時、道のりが遠く、とても疲れ果てた。
「駿河の宇津の山辺では、現実にも夢の中にも、誰にも会えない」と詠んだ。
このような悲しみの中で、その男は、やがて東国の道に消えていった。

【覚えておきたい知識】

文学史・古文常識:

  • 伊勢物語:在原業平をモデルとする歌物語。主人公の放浪・恋・人生の哀愁を描く。
  • 東下り:都を離れ東国へ旅する、物語前半のハイライト。
  • しのぶもじずり:陸奥の乱れ模様の染物。心の乱れの象徴。

重要古語・語句:

  • 身をえうなきもの:自分の身をつまらないものと考える。
  • 京にはあらで:都にとどまらず。
  • 夢にも人に逢はぬ:現実にも夢にも会えない。
  • 消えゆく:旅立ち、消息が絶える。

【設問】

【問1】「しのぶもぢずり」「夢にも人に逢はぬ」の歌が主人公の心情をどのように表しているか、本文に即して200字以内で論じよ。

【問1 解答例・解説】

「しのぶもじずり」は心の乱れ、「夢にも人に逢はぬ」は孤独感を象徴している。都を離れて東国へ向かう主人公の哀しみ、恋や人生の喪失感が、歌に込められた心情の乱れと孤独として鮮やかに表現されている。(177字)

【問2】東下りの旅路が、伊勢物語全体の主題や美学とどのように関わるか、評論的に300字以内で述べなさい。

【問2 解答例・解説】

東下りの旅は、主人公の流離・喪失・孤独を象徴するとともに、歌によって心情を昇華し、美的世界に変換する伊勢物語の美学そのものを体現している。現実逃避や挫折、愛と別れ、無常観を、詩情豊かな歌と風景描写で包み込み、人生の哀しみや儚さを美とする平安文学の精神が表現されている。旅することで、主人公は「外の世界」と「内なる世界」を見つめ直し、物語に深い余韻と美意識をもたらしている。(294字)

【問3】あなたが「孤独」や「流離」を感じた経験があれば一つ挙げ、伊勢物語との共通点を400字以内で述べよ。

【問3 解答例】

私も新しい土地へ一人で引っ越したとき、最初は心細く、誰にも頼れない孤独を強く感じた。慣れない環境に戸惑い、知り合いもいない日々は、夢の中ですら誰かに会えないような寂しさだった。伊勢物語の主人公が、都を捨てて東国へ旅する不安や孤独、出会いと別れの哀しみは、私自身の体験とも重なる。けれど、その孤独の中でも、新しい景色や出会いに心が動かされ、少しずつ前向きな気持ちを取り戻せたことも印象的だった。人生の喪失感や儚さを受け入れつつ、それを歌や物語で表現することで、美や救いを見いだす伊勢物語の精神は、現代にも通じる普遍的なものだと感じる。

【問4】伊勢物語の「東下り」の場面が日本文学史にもたらした意義を、評論的に400字以内で述べなさい。

【問4 解答例】

「東下り」の場面は、日本文学における「旅」の原型であり、人生の流離・孤独・喪失と美の結びつきを鮮やかに示した。歌と物語が融合する伊勢物語の形式は、後世の和歌文学・物語文学、さらに俳諧や近代小説まで影響を与え、「人生の旅」と「心の旅」の両面を深く掘り下げる文学的伝統を確立した。現実の苦しみや別れをそのまま嘆くのではなく、歌や風景描写を通じて、喪失を美に昇華する感性は、枕草子・源氏物語・おくのほそ道などにも受け継がれている。「東下り」は、個人の苦悩や哀しみを普遍的な芸術へと高める、日本文学の精神的原点となった。

レベル:最難関大・専門レベル|更新:2025-07-25|問題番号:119