3.6 【女性】戦乱の世を生き抜いた女性たちの姿
戦国時代の歴史というと、どうしても武将たちの戦いや政治の話が中心になりがちだよね。でも、その陰には、多くの女性たちが、それぞれの立場でこの激動の時代をたくましく生き抜いていたんだ。
大名の奥方として家の存続に心をくだいた女性、戦乱の中で家族を守り、日々の暮らしを支えた庶民の女性…。彼女たちの存在なくして、戦国時代を語ることはできないよ。このページでは、そんな戦国時代の女性たちが、どんな人生を送り、どんな役割を果たしていたのかを見ていこう!
武家の女性 ~華やかさと厳しさの中で~
大名や有力な武士の家に生まれた女性たちは、華やかな一面もあったけど、その立場ゆえの厳しさもたくさん経験したんだ。
- 政略結婚の道具として
- 当時の結婚は、家と家との結びつきを強めるための大切な外交手段。だから、大名の娘たちは、自分の意志とは関係なく、他の大名家へ嫁がされる「政略結婚」が当たり前だった。幼い頃から、いつか知らない土地へ嫁ぐ覚悟をしていたのかもしれないね。例:お市の方(織田信長の妹)、愛姫(伊達政宗の正室)など。
- お家存続と後継者育成
- 武家にとって、家を絶やさず、跡継ぎとなる男の子を産み育てることは、奥方の一番大切な役目の一つだった。もし跡継ぎが生まれなければ、お家が断絶してしまうかもしれないからね。そのため、正室の他に「側室(そくしつ)」を持つ大名も多かったんだ。
- 奥向きの取り仕切り
- お城の中の「奥(おく)」と呼ばれる、大名やその家族が暮らすプライベートな空間を取り仕切るのも奥方の大事な仕事。たくさんの侍女たちをまとめ、家の秩序を守ったんだ。
- 夫の留守を守る
- 夫である大名が戦で領地を離れている間、残された奥方が城を守り、領地を治める責任を負うこともあった。中には、自ら鎧をまとい、薙刀(なぎなた)を振るって戦ったとされる勇ましい女性もいたんだよ! 例:甲斐姫(かいひめ)、立花誾千代(たちばなぎんちよ)など。
- 人質としての生活
- 大名家同士が同盟を結ぶ証として、あるいは敵対する相手への牽制として、妻子が「人質」として他の大名のもとで暮らすことも珍しくなかった。いつ命の危険にさらされるか分からない、不安な日々だっただろうね。
- 出家という道
- 夫に先立たれたり、家が滅びたり、政争に敗れたりした女性たちは、「出家」して尼となり、仏門に入って静かに余生を送ることも多かった。
武家の女性の装束 (小袖と打掛のイメージ)
戦乱の嵐の中で ~庶民の女性たちの暮らし~
戦国時代、人口の大部分を占めていたのは庶民だよね。その中で生きた女性たちは、どんな暮らしをしていたんだろう?
- 農村の女性:一家の大事な働き手! 田植えや稲刈りといった農作業はもちろん、家事や子育て、そして夜なべ仕事で糸を紡いだり布を織ったりと、休む暇もなかったかもしれない。戦で夫が駆り出されれば、残された田畑や家を守るのも女性たちの役目だった。
- 町人の女性:商人の家や職人の家では、夫の仕事を手伝ったり、店番をしたりしていた。中には、自ら商品を仕入れて売り歩く「行商(ぎょうしょう)」をするたくましい女性もいたよ。
- その他の女性たち:戦乱で身寄りをなくしたり、生活に困窮したりして、遊女(ゆうじょ)や白拍子(しらびょうし、歌舞を演じる芸人)として生計を立てる女性たちもいたんだ。
戦が始まれば、庶民の女性たちも大きな被害を受けた。家や畑が焼かれ、食料を奪われ、時には人身売買の対象にされたり、乱暴されたりすることも…。それでも、彼女たちは家族を守り、日々の生活を営み、戦乱の世を必死に生き抜いたんだ。
歴史に名を刻んだ女性たち
数は少ないけれど、戦国時代にはその名が後世に伝えられている女性たちもいるよ。ここではほんの一部を紹介するね。
お市の方 (おいちのかた)
織田信長の妹。浅井長政、柴田勝家に嫁いだ。戦国一の美女とも言われ、その生涯はまさに波乱万丈だった。
濃姫 (のうひめ)
美濃の斎藤道三の娘で、織田信長の正室。謎の多い人物だけど、信長を支えた賢い女性だったという説もある。
春日局 (かすがのつぼね)
明智光秀の家臣の娘。後に徳川家光の乳母となり、大奥で大きな力を持った(戦国時代の終わり頃~江戸時代初期)。
甲斐姫 (かいひめ)
忍城主・成田氏長の娘。豊臣秀吉の小田原征伐の際、忍城が水攻めにあった時に、自ら甲冑を着て戦ったと伝えられる勇ましい姫。
時代の変わり目と女性たち
戦国時代が終わり、江戸時代という比較的平和な時代になると、社会の仕組みも変わっていった。儒教(じゅきょう)の教え(男は偉く、女はそれに従うべき、といった考え方)が広まり、女性の立場は戦国時代よりも制約が多くなる傾向があったんだ。
でも、家庭や地域社会の中で、女性たちが大切な役割を果たし続けたことに変わりはなかった。母として子を育て、妻として家を支え、そして地域の一員として、日々の生活を営んでいったんだね。
Mamechishiki Corner (Bean Knowledge!): Women's Names in the Sengoku Period
Women in the Sengoku period often had names ending with "-hime" (姫) if they were daughters of daimyō or high-ranking samurai, signifying "princess" or "lady." Commoner women's names were simpler. Many women, especially in the samurai class, were known by names given by their husbands or by titles derived from their father's or husband's position or domain (e.g., "Lady from [Place Name]"). Upon becoming a nun, they would receive a Buddhist name. It's often challenging for historians to trace individual women because their personal names were not always consistently recorded in historical documents, unlike men's.
(意訳:戦国時代の女性は、大名や高位の武士の娘であれば、「姫」で終わる名前を持つことが多く、これは「お姫様」や「貴婦人」を意味しました。庶民の女性の名前はもっと単純でした。多くの女性、特に武士階級では、夫から与えられた名前や、父や夫の役職や領地に由来する称号(例:「○○殿の奥方」)で知られていました。尼になると、仏教の名前を受けました。男性とは異なり、個人の名前が歴史的文書に一貫して記録されているとは限らないため、歴史家が個々の女性を追跡するのはしばしば困難です。)