ウルトラ先生の江戸時代マスターへの道

4-3. 江戸時代研究史概観(ヒストリオグラフィー) - 「江戸」をめぐる多様なまなざし

これまでの学習で、江戸時代の様々な側面について知識を深めてきたね。しかし、君が教科書やこのサイトで学んでいる「江戸時代の歴史像」というのは、実は天から降ってきた絶対的なものではないんだ。それは、多くの歴史家たちが、過去の史料を丹念に読み解き、議論を重ね、それぞれの時代背景や問題意識の中で「再構成」してきたものなんだ。この「歴史学そのものの歴史」、特に特定の時代やテーマに関する研究がどのように進展し、解釈がどのように変わってきたのかを研究する分野を「歴史研究史(れきしけんきゅうし)」あるいは「ヒストリオグラフィー」と呼ぶ。

なぜ、江戸時代の「研究史」を学ぶことが大切なんだろうか? それは、私たちが学ぶ歴史像が、決して一つではなく、固定的なものでもないことを理解するためだ。歴史解釈は、新しい史料の発見、新しい研究方法の登場、そして何よりもその時代その時代の社会状況や価値観の変化によって、常に更新され続けている。このことを知ることで、歴史に対する複眼的な視点と、情報を鵜呑みにしない批判的な思考力を養うことができる。このページでは、明治時代以降、現代に至るまで、日本の歴史学の中で江戸時代がどのように位置づけられ、評価されてきたのか、その主要な流れと論点を概観していくぞ。

1. 明治時代~大正時代:文明史観と皇国史観の中の「近世」

「停滞した封建時代」か、それとも「独自の発展期」か

  • 明治初期の否定的評価(文明史観):
    • 明治維新直後は、西洋文明の導入と近代化が至上命題とされた(文明開化)。そのため、江戸時代は克服すべき「封建的」で「停滞した」暗黒時代として、否定的に捉えられる傾向が強かった。福沢諭吉の『文明論之概略』などに見られるように、西洋と比較して日本の前近代を相対的に低い段階と見る考え方だ。
  • 国粋主義の高まりと再評価の動き:
    • 明治中期以降、急速な西洋化への反省から、日本の伝統文化や独自性を見直そうとする国粋主義(こくすいしゅぎ)の思潮が台頭。これに伴い、江戸時代の文化(例えば元禄文化や化政文化)や制度の独自性、あるいは道徳(武士道など)を肯定的に再評価する動きも一部に現れた。三宅雪嶺(みやけせつれい)の「真善美日本人」「偽悪醜日本人」といった論や、内藤湖南(ないとうこなん)の近世庶民文化への注目などがその例だ。
  • 皇国史観(こうこくしかん)の確立と「近世」の位置づけ:
    • 明治憲法体制が確立し、国家主義・天皇中心主義が強まる中で、歴史教育もまた天皇を中心とする「万世一系」の国家観(皇国史観)に基づいて行われるようになった。この史観では、江戸時代は天皇が大政を武家(徳川将軍家)に「委任」していた時代とされ、幕府の役割は相対的に低く見られがちだった。一方で、幕末の尊王攘夷運動は、天皇への忠誠心の現れとして高く評価された。
    • この時期、「江戸時代」という呼称よりも、天皇の治世を基準とした時代区分の中で「近世」として捉えられることが多かった。

2. 昭和戦前・戦中期:皇国史観の全盛と研究の制約

「国体の精華」としての江戸時代

  • 1930年代から第二次世界大戦終結(1945年)までは、皇国史観が国家の公定史観として絶対的なものとなり、歴史研究もその強い影響下に置かれた。
  • 江戸時代研究においては、武士道精神や「国体(こくたい)」(天皇を中心とする日本の国家体制)の淵源となるような側面が強調された。例えば、山崎闇斎の垂加神道や水戸学の尊王思想などが注目された。
  • 一方で、自由な歴史研究は著しく制約され、マルクス主義的な歴史観に基づく研究(例えば、階級闘争史観など)は厳しく弾圧された(例:講座派と労農派の弾圧)。江戸時代の社会矛盾や民衆運動を積極的に評価することは難しかった。

3. 戦後(昭和20年代~40年代頃):マルクス主義史学と近代化論の興隆

「封建社会」の克服と「近代への胎動」

  • 皇国史観の否定と歴史学の民主化・科学化:
    • 敗戦により皇国史観は崩壊し、歴史学も戦争責任の問い直しと、自由で実証的な研究へと大きく転換した。
  • マルクス主義史学(唯物史観:ゆいぶつしかん)の強い影響:
    • 戦後の歴史学界で大きな影響力を持ったのが、マルクス主義の歴史観だ。この立場からは、江戸時代は「封建社会」として規定され、その内部における階級対立(領主と農民、地主と小作人など)や、生産力の発展と生産関係の矛盾が重視された。
    • 百姓一揆打ちこわしといった民衆運動は、封建支配に対する階級闘争として積極的に評価され、その研究が飛躍的に進んだ。
    • 明治維新は、この封建社会の矛盾が爆発した結果としての「ブルジョア革命」(あるいはその不徹底な形態)として捉えようとする視点が有力だった。
    • 幕藩体制の支配構造や、寄生地主制(きせいじぬしせい)の成立過程などの研究も深化。
  • 近代化論(きんだいかろん)の登場と江戸時代評価:
    • 日本の急速な近代化(明治維新以降)がなぜ可能だったのか、その要因を江戸時代に求める視点も有力となった。これは、アメリカの社会科学の影響を受けたもの。
    • 江戸時代の経済発展(全国市場の形成、商業資本の蓄積など)、高い教育水準(寺子屋の普及と識字率の高さ)、勤勉な国民性、比較的安定した政治体制などが、近代化の「前提条件(プレモダン・ファクターズ)」として肯定的に評価された。
    • この立場からは、江戸時代は単なる「停滞した封建時代」ではなく、近代への「胎動期」あるいは「準備期」として捉えられた。
東大での着眼点: 戦後の歴史学において、マルクス主義史学と近代化論が、それぞれ江戸時代像にどのような新しい光を当て、またどのような論争(例えば、江戸時代の評価をめぐる「封建制」論争など)を生んだのか、その大きな流れを理解しておくことが重要。

4. 昭和後期~平成・令和:研究の多様化・深化と「近世」像の再構築

ミクロな視点、多様なテーマ、国際的文脈へ

  • マルクス主義史学や近代化論といった大きな枠組みだけでなく、より多様な視点やテーマからの研究が飛躍的に進展した。
  • 社会経済史研究の深化とミクロヒストリー:
    • 石高制や年貢の実態、商品流通の具体的なルートやメカニズム、金融システムの詳細な分析、農村社会の構造変動(階層分化、家制度、村落共同体)など、より実証的でミクロなレベルでの研究が積み重ねられた。
    • 地域史研究も盛んになり、各藩の独自の歴史や、中央(江戸・大坂)と地方との関係、地域ごとの経済・文化の多様性が明らかにされてきた。
  • 文化史・思想史研究の新たな展開:
    • 文学、美術、芸能だけでなく、庶民の生活文化(衣食住、年中行事、娯楽、信仰など)や、心性史(メンタリティ史)への関心が高まった。
    • 儒学、国学、蘭学といった主要な思想だけでなく、陽明学や神道思想の多様な展開、民間信仰、あるいは情報伝達やコミュニケーションのあり方(出版文化、識字能力、噂など)といったテーマも注目されている。
  • 社会史・生活史研究の視点の拡大:
    • これまで歴史叙述の中心から外れがちだった人々やテーマ、例えば女性史被差別民衆史身分制度の実態とその変容家族制度災害史環境史、病気の歴史など、多様な分野での研究が進んでいる。
    • 「下からの視点」を重視し、名もなき普通の人々の生活や意識、経験を掘り起こそうとする試みが活発だ。
  • 国際的視野からの江戸時代研究と「近世」像の再検討:
    • 海外の日本研究者による新しい視点や方法論が導入され、日本の研究者との国際的な学術交流も盛んになっている。
    • 江戸時代を単に日本の国内史としてだけでなく、東アジア史の中での位置づけや、同時代の世界史との比較の中で捉え直そうとする動きも重要だ。
    • その結果、江戸時代を単なる「封建時代」や「近代への前段階」として一面的に捉えるのではなく、それ自体が独自の豊かな社会システムと高度な文化を持った「近世」という一つの完成された時代として積極的に評価しようとする見方が強まっている。
東大での着眼点: 現代の江戸時代研究が、どのような新しいテーマや視点(例えば、環境、ジェンダー、情報、心性など)に関心を持ち、どのような方法論(例えば、地域史研究、ミクロな史料分析など)を用いて、江戸時代のどのような新しい側面を明らかにしようとしているのか、その大まかな傾向を掴んでおくと、歴史を見る視野が広がる。
主要な歴史観と江戸時代像のポイント
歴史観 江戸時代像の主な特徴 キーワード例
文明史観 (明治初期) 西洋に劣る、停滞した封建時代、克服すべき旧体制 封建的、暗黒時代、未開
皇国史観 (戦前) 天皇が大政を委任した時代、武士道精神、国体の現れ 大政委任、尊王、武士道
マルクス主義史学 (戦後) 封建社会、階級対立、生産力と生産関係の矛盾、明治維新はブルジョア革命 封建制、階級闘争、寄生地主制
近代化論 (戦後) 近代化の前提条件が準備された時代、経済発展、教育普及 プレモダン、準備期、プロト工業化
現代の多様な研究 (平成~) 独自の社会システムと文化を持つ豊かな「近世」、多様な側面からのアプローチ ミクロヒストリー、地域史、生活文化、環境史、ジェンダー

なぜ歴史研究史(ヒストリオグラフィー)を学ぶのか? その意義

少し難しい話だったかもしれないが、江戸時代の研究史を学ぶことには、以下のような大きな意義があるんだ。

歴史とは、まさにE.H.カーが言ったように「現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話」なんだ。君も、この対話に積極的に参加していこう!

【学術的豆知識】「江戸時代」という呼称はいつから?

僕たちは当たり前のように「江戸時代」と呼んでいるけれど、この呼称が一般的に定着したのは、実は明治時代以降なんだ。江戸時代の人々自身は、自分たちの時代を「江戸時代」とは呼んでいなかった。「徳川の世(とくがわのよ)」や「当代(とうだい:現在の時代)」、あるいは元号(「元禄の頃」「文化文政の頃」など)で呼ぶのが普通だった。明治政府が成立し、徳川幕府の時代を過去のものとして相対化する必要から、「江戸に幕府があった時代」という意味で「江戸時代」という時代区分が用いられるようになった。また、西洋史の時代区分(古代・中世・近代)にならって、日本の歴史を区分する際に、鎌倉・室町時代を「中世」、明治以降を「近代」とし、その間に入る時代として「近世(きんせい)」という呼称も学術的にはよく使われる。江戸時代は、まさにこの「近世」の中心的な時代なんだ。

(Click to listen) Although we casually use the term "Edo period," it actually became commonly established after the Meiji period. People living during the Edo period did not refer to their own time as the "Edo period." It was common to call it "Tokugawa no yo" (the Tokugawa era), "tōdai" (the current age), or by era names (gengō, such as "around Genroku" or "around Bunka-Bunsei"). After the Meiji government was established and there was a need to relativize the era of the Tokugawa Shogunate as a thing of the past, the term "Edo period," meaning "the period when the Shogunate was in Edo," came into use. Also, following Western historical periodization (ancient, medieval, modern), when dividing Japanese history, the Kamakura and Muromachi periods are referred to as "chūsei" (middle ages), the Meiji period onwards as "kindai" (modern times), and the intervening period is often academically called "kinsei" (early modern). The Edo period is precisely the central era of this "kinsei."

This Page's Summary in English (Click to expand and listen to paragraphs)

This page provides an overview of the historiography of the Edo period, examining how historical interpretations and evaluations of this era have evolved from the Meiji period to the present. Understanding this historiography helps in appreciating the dynamic nature of historical understanding and fosters a critical perspective.

From the Meiji to Taishō periods, early views often characterized the Edo period negatively as a "feudal" and "stagnant" era to be overcome (influenced by "Bunmei Shikan" - civilization historical view). However, with the rise of nationalism, some re-evaluation of its unique culture and institutions began. Under the dominant Kōkoku Shikan (Emperor-centered nationalistic historiography), the Edo period was often positioned within a narrative tội lỗi imperial continuity.

During the pre-war and wartime Shōwa period, Kōkoku Shikan became absolute, emphasizing aspects like Bushido and the "national polity" (Kokutai). Free research was restricted, and Marxist historical views were suppressed.

In the post-war Shōwa period (c. 1945s-1960s), with the repudiation of Kōkoku Shikan, historical studies were democratized and scientized. Marxist historiography (historical materialism) became influential, defining the Edo period as "feudal society" and focusing on class conflict and popular movements like peasant uprisings. The Meiji Restoration was often seen as a bourgeois revolution. Concurrently, Modernization Theory gained traction, re-evaluating the Edo period positively as a preparatory stage for Japan's successful modernization, highlighting its economic development, high literacy, and stable polity as "pre-modern factors."

From the late Shōwa period to the Heisei and Reiwa eras, research has become increasingly diverse and specialized. Socio-economic history delved into micro-level analyses and regional studies. Cultural and intellectual history saw new developments, with growing interest in popular culture, diverse thoughts, and communication. Social and daily life history expanded to include previously marginalized topics like women's history, discriminated peoples' history, family systems, disaster history, and environmental history. There's a stronger tendency to view the Edo period not merely as "feudal" or a "prelude to modernity," but as a rich and unique "early modern" (kinsei) era in its own right, often incorporating international and comparative perspectives.

Studying historiography is significant as it reveals that historical narratives are not fixed, helps understand how current historical knowledge is constructed, shows the dynamism of historical scholarship, and provides hints for forming one's own historical perspectives.


「江戸時代の歴史」そのものが、時代とともに様々な角度から見つめ直されてきたことが感じられただろうか? これで第4部の探求は一区切りだ。次は、いよいよ君の「東大合格力」を直接鍛えるための最終ステージ、「第5部:東大入試対策 実践演習」へと進むぞ!

次へ進む:第5部:東大入試対策 実践演習 序論