ウルトラ先生の江戸時代マスターへの道

2-2-3. 貨幣制度と幕府・藩財政 - キラめく小判と火の車の懐事情

商業が発展し、都市が賑わい、全国規模でモノが動くようになると、その経済活動を円滑に進めるための「お金(貨幣)」の役割はますます重要になる。そして、国を治める幕府や各地の藩にとって、その活動資金である「財政」の健全性は、まさに政権安定の生命線だった。

このページでは、江戸時代に流通した独特な貨幣システムである三貨制度、そしてその下で発達した金融の仕組みを見ていく。さらに、なぜあれほど強大な権力を誇った江戸幕府でさえ、そして多くの藩が、慢性的な財政難に苦しんだのか、その原因と、苦肉の策として打ち出された様々な財政再建策(貨幣改鋳、藩札発行、専売制など)の実態とその影響について深く掘り下げていくぞ。江戸時代の人々のお金にまつわる悲喜こもごも、そして国家財政の苦闘の歴史は、現代の私たちにも多くの教訓を与えてくれるはずだ。

1. 江戸時代の貨幣制度:複雑怪奇な「三貨」の世界

江戸時代の貨幣システムは、現代から見るとかなり複雑なものだった。主に以下の三種類の貨幣が、それぞれ異なる特徴を持ちながら流通していたんだ。

  • 金貨 (きんか): 小判(こばん)や一分金(いちぶきん)、二分金(にぶきん)など。主に江戸を中心とする東日本で、比較的高額な取引や武士の俸禄の計算などに用いられた。計数貨幣(けいすうかへい)といって、枚数で価値が決まる(例:1両=小判1枚=一分金4枚)。幕府の金座(きんざ)で鋳造された。
  • 銀貨 (ぎんか): 丁銀(ちょうぎん)豆板銀(まめいたぎん)など。主に大坂を中心とする西日本で、日常的な商取引に広く用いられた。秤量貨幣(しょうりょうかへい)といって、使うたびに重さを秤(はかり)で量って価値を決める、非常に手間のかかる貨幣だった。幕府の銀座(ぎんざ)で鋳造。
  • 銭貨 (ぜにか): 寛永通宝(かんえいつうほう)などの銅銭(あるいは鉄銭)。全国で日常の少額な支払いに使われた。これも計数貨幣(1文、4文など)。幕府の銭座(ぜにざ)や各藩でも鋳造された。

この三種類の貨幣の厄介なところは、特に金と銀の交換比率(公定相場と市場相場)が固定されておらず、日々変動したことだ。例えば、「金1両=銀60匁(もんめ)前後」というのが一つの目安だったが、これは需給バランスや貨幣の質によって変わった。このため、地域間での取引や、異なる種類の貨幣での支払いには、常に両替が必要だった。

三貨制度のイメージ 金貨 (小判等 / 東日本) 銀貨 (丁銀等 / 西日本) 銭貨 (寛永通宝等 / 全国) これら三種の貨幣が流通し、金銀の交換比率は変動した。 変動相場 (対銭も)

この複雑な貨幣制度のもと、両替商(りょうがえしょう)は不可欠な存在だった。彼らは三貨の交換だけでなく、預金の受け入れ、資金の貸し付け、そして為替手形(かわせてがた)の発行による遠隔地への送金など、現代の銀行に近い金融サービスを提供し、経済の円滑な循環を支えた。

東大での着眼点: 三貨制度、特に金銀の変動相場制が江戸時代の経済活動に与えた影響(プラス面とマイナス面)を具体的に説明できるように。また、両替商が果たした金融仲介機能の重要性も理解しておくこと。

2. 幕府の財政:構造と常に付きまとう窮乏化の影

江戸幕府は強大な権力を握っていたが、その財政は決して安泰ではなかった。特に中期以降は慢性的な赤字に苦しむことになる。

  • 歳入の柱:
    • 年貢米(ねんぐまい): 幕府直轄領である天領(てんりょう)からの年貢収入が最大の柱。しかし、米の生産量や米価の変動に大きく左右された。
    • 鉱山収入: 佐渡金山や石見銀山などからの金銀の産出。初期には重要な財源だったが、17世紀後半以降は産出量が減少していった。
    • 運上金(うんじょうきん)・冥加金(みょうがきん): 株仲間などの特定商工業者から徴収する営業税のようなもの。田沼時代には重視された。
    • 長崎貿易の利益: 中国やオランダとの貿易による利益。新井白石の改革(海舶互市新例)で制限された時期もある。
  • 歳出の主なもの:
    • 幕臣(旗本・御家人)への俸禄(ほうろく)(主に米で支給)。
    • 江戸城の維持管理費、幕府の行政機構の運営経費。
    • 大規模な土木事業(河川改修、日光東照宮の修繕など、大名への手伝普請も含む)。
    • 将軍の代替わりや重要な儀式、大奥(おおおく)の経費など。
    • 頻発する大火(明暦の大火など)や地震、飢饉などの災害対策・復旧費用。
  • 財政窮乏化の主な原因:
    • 歳入の伸び悩み: 年貢収入は耕地面積の限界や農民の抵抗で頭打ち。鉱山収入も減少。
    • 歳出の恒常的な増大: 幕臣の数や生活水準の固定化、儀礼の複雑化・費用増大。
    • 災害の頻発: 江戸の大火や全国的な飢饉は、莫大な臨時支出を強いた。
    • 米価の相対的下落と武士の困窮: 商品経済が発展する一方で、主要な収入源である米の価格は、豊作時などには下落しやすかった。しかし武士の生活に必要な現金支出(衣料、生活用品など)は増える一方で、実質的な困窮が進んだ。これは幕府財政にも影響した。
幕府財政窮乏化の要因(イメージ) 幕府財政窮乏化 歳入の伸び悩み 歳出の増大 慢性的な赤字 (年貢限界,鉱山減) (武家生活費増,災害)

3. 幕府の財政再建策:繰り返される「改革」とその限界

慢性的な財政難に対し、幕府は様々な対策を講じたが、根本的な解決には至らなかった。

  • 倹約令(けんやくれい)の発布: 武士や庶民に対し、贅沢を禁じ、質素倹約を命じる法令。三大改革(享保・寛政・天保)など、財政が悪化するたびに繰り返し出されたが、その効果は一時的で、人々の不満を高めることも多かった。
  • 新田開発の奨励: 年貢収入の増加を狙ったが、開発可能な土地には限りがあった。
  • 貨幣改鋳(かへいかいちゅう): 金貨や銀貨に含まれる貴金属の量を減らして(品位を下げて)通貨の発行量を増やし、その差益(出目:でめ)を幕府の収入とする政策。
    • 代表例:元禄金銀(老中荻原重秀が主導)、元文金銀(8代将軍吉宗と町奉行大岡忠相が主導)、文政金銀、天保金銀、そして幕末の万延金銀など。
    • 効果と影響: 一時的に幕府の財政収入は増え、インフレーションを引き起こすことで実質的な債務負担を軽減する効果もあった。元文金銀のように、デフレ脱却と経済活性化に繋がったと評価される改鋳もある。
    • 問題点: インフレによる物価高騰は庶民の生活を圧迫し、貨幣価値の不安定化は経済の混乱を招いた。特に幕末の万延小判は著しく質が悪く、激しいインフレを引き起こした。
    旧貨幣 (高品位)
    幕府が回収・溶解
    新貨幣鋳造 (低品位・増量)
    幕府収入 (出目) GET!
    & インフレ発生
    東大での着眼点: 各時期の貨幣改鋳(特に元禄・元文・万延)の目的、経済に与えた具体的な影響(物価、景気、庶民生活など)、そして歴史的評価を比較できるように。改鋳がなぜ繰り返されたのかも重要な論点。
  • 御用金(ごようきん)の賦課: 三井などの豪商に対し、臨時に多額の資金を上納させた。これは借金に近い性格もあった。

4. 藩財政の窮乏と藩政改革:生き残りをかけた各藩の苦闘

幕府だけでなく、全国の多くの藩もまた、深刻な財政難に苦しんでいた。その原因と対策を見てみよう。

  • 藩財政窮乏の主な原因:
    • 参勤交代に伴う莫大な費用(行列の維持、江戸藩邸での二重生活など)。
    • 幕府から命じられる手伝普請(てつだいぶしん)(河川工事や城の修築など)の負担。
    • 藩士への俸禄(米支給)と、藩の行政経費。
    • 藩内の土木事業(新田開発、治水など)や災害復旧費用。
    • 商品経済の浸透による藩士の現金支出の増大と、藩の収入(主に年貢米)とのミスマッチ。
    • 特産品の不振や、大坂の蔵屋敷での販売価格の変動。
  • 藩の主な財政再建策:
    • 藩札(はんさつ)の発行: 藩領内のみで通用する紙幣。藩の信用力が低いと価値が下落し、インフレや経済混乱を招く危険性があったが、手軽な資金調達手段として多くの藩が発行した。
    • 専売制(せんばいせい)の強化: 藩内の特定の特産品(砂糖、紙、蝋、藍、塩、鉄など)の生産・販売を藩が独占し、その利益を確保しようとする政策。薩摩藩の砂糖、長州藩の紙・蝋、阿波藩の藍などが有名。成功すれば大きな財源となったが、農民や商人の自由な経済活動を圧迫することもあった。
    • 家臣からの借り上げ(借知:しゃくち、半知:はんちなど): 藩士の俸禄を一定期間削減したり、一部を藩に「貸し付け」させたりする。実質的な給与カット。
    • 藩内での殖産興業(しょくさんこうぎょう): 新たな産業を育成し、財源を確保しようとする試み。
    • 大坂などの豪商からの借金(大名貸)。多くの藩が多額の借金を抱えた。
  • 成功した藩政改革の例: 薩摩藩(調所広郷による砂糖専売・密貿易)、長州藩(村田清風による紙・蝋の専売強化、負債整理)、肥前藩(鍋島直正による均田制、反射炉建設など)などは、独自の藩政改革に成功し、幕末に雄藩として台頭する経済的・軍事的基盤を築いた。

5. 金融の発達と社会への影響

複雑な貨幣制度と活発な商業活動は、多様な金融システムを発達させた。

  • 両替商の他に、大坂の蔵屋敷では、藩の財政運営や米・物産の販売、資金調達などを代行する蔵元(くらもと)掛屋(かけや)といった特権商人が活躍した。
  • 庶民の間では、頼母子講(たのもしこう)無尽講(むじんこう)といった、メンバーが一定額を出し合い、抽選や入札で必要な人に融通しあう相互金融組織も広く行われた。
  • 貨幣経済の浸透が社会に与えた影響:
    • 武士階級は、収入が米中心であるのに対し支出は現金が多いため、米価の変動や物価の上昇によって経済的に困窮し、商人からの借金に頼ることが多くなった(武士の商工業者への従属)。
    • 農村では、商品作物の栽培や金肥の購入などで現金が必要となり、貨幣経済にうまく対応できた者(豪農・地主)と、対応できずに土地を手放す者(小作人・水呑百姓)への階層分化が一層進んだ。
    • 商人資本が成長し、経済の実権を握るだけでなく、時には文化の担い手となるなど、その社会的影響力が増大した。
    • 金銭をめぐる新たな社会問題(高利貸しの横行、借金苦による身売りや逃散など)も発生した。
【学術的豆知識】「米価安の諸色高」というジレンマ

江戸時代の武士や幕府・藩を悩ませた経済問題の一つに、「米価安の諸色高(べいかやすのしょしきだか)」という現象がある。これは、主食である米の価格は比較的安いのに、他の様々な商品(諸色)の価格が高い状態を指す。武士の俸禄は米で計算されるため、米価が安いと実質的な収入が減る。その一方で、生活に必要な様々な物資は現金で購入するため、諸色高は支出の増大を意味した。この「収入減・支出増」のダブルパンチが、武士階級の困窮を深刻化させた大きな要因だったんだ。幕府や藩は、米価を安定させようと様々な政策(米の買い上げや放出など)を試みたが、全国的な商品流通網が発達する中で、米価のコントロールは非常に難しかった。

(Click to listen) One of the economic problems that plagued samurai, the Shogunate, and domains during the Edo period was the phenomenon known as "beika yasu no shoshiki daka" (low rice prices and high prices for other goods). This refers to a situation where the price of rice, the staple food, was relatively low, while the prices of various other commodities (shoshiki) were high. Since samurai stipends were calculated in rice, low rice prices meant a decrease in their real income. On the other hand, since various daily necessities had to be purchased with cash, high prices for other goods meant increased expenditures. This double punch of "decreased income and increased expenditure" was a major factor that exacerbated the impoverishment of the samurai class. The Shogunate and domains attempted various policies to stabilize rice prices (such as buying up or releasing rice), but controlling rice prices became very difficult as a nationwide commodity distribution network developed.

This Page's Summary in English (Click to expand and listen to paragraphs)

This page examines the monetary system and the fiscal challenges faced by the Shogunate (Bakufu) and domains (Han) during the Edo period. The complex monetary system and chronic financial difficulties significantly shaped economic policies and societal structures.

The Edo period utilized a tri-metallic currency system: gold coins (kinka, e.g., koban, mainly in eastern Japan, as accounting currency), silver coins (ginka, e.g., chōgin, mainly in western Japan, as currency by weight), and copper/iron coins (zenika, e.g., Kan'ei Tsūhō, for small daily transactions nationwide). The exchange rates between gold and silver fluctuated, necessitating money changers (ryōgaeshō) who also provided banking services like deposits, loans, and bills of exchange.

The Shogunate's finances relied on land tax (nengu) from its direct territories (tenryō), mining revenues (which declined over time), and levies on merchants (unjōkin, myōgakin). Expenditures included stipends for retainers, administrative costs, public works, and disaster relief. Chronic deficits arose from stagnant revenues and increasing expenditures, compounded by disasters and the samurai class's financial difficulties due to the monetized economy and fluctuating rice prices.

Shogunal fiscal reconstruction measures included austerity edicts (ken'yakurei), land reclamation, and currency debasements (kahei kaichū). Debasement provided temporary revenue through seigniorage (deme) but often caused inflation and economic instability. Domains also faced severe financial problems due to expenses like Sankin Kōtai and shogunal levies. Their countermeasures included issuing domainal paper money (hansatsu), establishing domainal monopolies (senbai-sei) on local products, reducing samurai stipends, and borrowing from wealthy merchants. Some domains (e.g., Satsuma, Chōshū) successfully reformed their finances, which contributed to their rise in the Bakumatsu period.

The rozwój of a monetized economy had profound social impacts, including the economic decline of the samurai, increased social stratification in rural areas, and the growing economic and social influence of the merchant class.


江戸時代のお金と財政の複雑な事情、そして幕府や藩の苦労が見えてきたかな? 次は、こうした経済状況の中で生まれた様々な「経済思想」と、それに基づく「経済政策」について見ていこう。

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