三国志の始まりを告げた大反乱

前のページで見たように、三国志の時代はたくさんの英雄たちが活躍する華々しいイメージがあるよね。でも、そのきっかけは、実は民衆の大きな苦しみと怒りから始まったんだ。 それが「黄巾の乱(こうきんのらん)」だよ。この大反乱が、長い間続いていた後漢(ごかん)という国の力を決定的に弱らせ、新しい時代への扉を開いたんだ。

なぜ黄巾の乱は起きたの? ~積もり積もった不満~

黄巾の乱が起きた背景には、いくつかの大きな原因があったんだ。

  • 政治の乱れ:当時の後漢王朝では、皇帝の周りにいる「宦官(かんがん)」と呼ばれる役人たちが大きな力を持って、私利私欲のために政治を動かしていたんだ。まじめな役人たちは追いやられ、賄賂(わいろ)が横行し、政治はめちゃくちゃだった。
  • 貧富の差と重い税金:政治が乱れると、そのしわ寄せはいつも民衆にくる。豪族(ごうぞく)と呼ばれる地方の有力者たちはますます豊かになる一方で、農民たちは重い税金に苦しみ、貧しい生活を強いられていた。
  • 自然災害と飢饉:追い打ちをかけるように、当時は各地で洪水や干ばつなどの自然災害が頻発し、作物がとれずに飢饉(ききん)がたくさん発生した。食べるものもなく、人々は絶望的な状況だったんだ。
  • 太平道(たいへいどう)の広まり:そんな苦しい世の中で、張角(ちょうかく)という人物が始めた「太平道」という新しい教えが、民衆の間に急速に広まった。太平道は、病気を治したり、人々の悩みを聞いたりして、多くの信者を集めたんだ。「今の苦しい世の中はもうすぐ終わる。新しい理想の世が来る」という教えは、希望を失っていた人々にとって大きな救いになったんだね。

「蒼天すでに死す、黄天まさに立つべし!」 ~乱の勃発~

太平道の指導者である張角は、ついに後漢王朝を倒して新しい世の中を作ることを決意する。そして184年、ついに信者たちと共に一斉に蜂起(ほうき)したんだ! 彼らは目印として黄色い頭巾(ずきん)を身に着けていたから、「黄巾党(こうきんとう)」、そしてこの反乱を「黄巾の乱」と呼ぶようになったんだ。

彼らが掲げたスローガンは、 「蒼天已死 黄天當立 歳在甲子 天下大吉」 (そうてんすでにしす、こうてんまさにたつべし。としはかっしにありて、てんかたいきち) だった。

お使いのブラウザはCanvasに対応していません。

これは、だいたいこんな意味だよ。

  • 蒼天已死(そうてんすでにしす):「蒼い天(後漢王朝のこと)はもう終わりだ!」
  • 黄天當立(こうてんまさにたつべし):「黄色い天(黄巾党が作る新しい世の中)が、今こそ始まるのだ!」
  • 歳在甲子(としはかっしにありて):「年はちょうど甲子(かっし・干支の一つで、大きな変革が起こるとされる年)だ!」
  • 天下大吉(てんかたいきち):「天下はめでたく、素晴らしいことになるぞ!」

このスローガンは、人々の心を掴み、反乱はまたたく間に中国全土に広がっていったんだ。

乱を率いた張角三兄弟

黄巾の乱の中心となったのは、張角とその弟たちだったよ。

張角(ちょうかく)

太平道の創始者。「天公将軍(てんこうしょうぐん)」と名乗り、黄巾の乱を指導した最高指導者。カリスマ的な魅力で多くの信者を集めた。

張宝(ちょうほう)

張角の次弟。「地公将軍(ちこうしょうぐん)」と名乗った。兄を助け、各地で反乱軍を指揮した。

張梁(ちょうりょう)

張角の末弟。「人公将軍(じんこうしょうぐん)」と名乗った。兄たちと共に黄巾軍の主力として戦った。

乱の広がりと鎮圧

黄巾党の勢いは凄まじく、一時は後漢の都・洛陽(らくよう)に迫るほどだった。後漢政府は慌てて、皇甫嵩(こうほすう)、盧植(ろしょく)、朱儁(しゅしゅん)といった将軍たちを派遣して鎮圧にあたらせたんだ。

この黄巾の乱の鎮圧には、後に三国志の主役となる若き日の英雄たちも参加していた。例えば、曹操(そうそう)、劉備(りゅうび)、孫堅(そんけん・孫権のお父さん)なども、この戦いで手柄を立てて名を上げていったんだ。

しかし、黄巾党はもともと農民を中心とした集団で、ちゃんとした軍事訓練を受けていなかった。指導者の張角が蜂起から数ヶ月で病死してしまうと、統率を失った黄巾軍は各地で敗北を重ね、乱は1年足らずでほぼ鎮圧されたんだ。

黄巾の乱が残したもの ~新しい時代の幕開け~

黄巾の乱そのものは比較的短期間で鎮圧されたけど、その影響はとてつもなく大きかったんだ。

  • 後漢王朝の権威失墜:ただでさえ弱っていた後漢王朝の力は、この反乱で完全に地に落ちてしまった。もはや国を治める力がないことが誰の目にも明らかになったんだ。
  • 地方豪族の台頭:乱の鎮圧のために、朝廷は地方の有力者たち(豪族)に大きな軍事権を与えた。彼らは自分の力で黄巾党と戦い、その過程でますます力をつけていった。
  • 群雄割拠の時代の始まり:黄巾の乱の後も、各地で小さな反乱が続いた。そして、力をつけた豪族たちは、もはや朝廷の言うことを聞かず、自分たちの領土を広げるために争い始める。これが、次のページで学ぶ「群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)」の時代の始まりなんだ。

つまり、黄巾の乱は古い時代(後漢)を終わらせ、新しい時代(三国時代)への大きな転換点となった出来事だったんだね。

【豆知識】「黄」の色

黄巾党が「黄色」を目印にしたのには理由があるんだ。中国の古い考え方「五行思想(ごぎょうしそう)」では、世の中の万物は木・火・土・金・水の5つの要素で成り立っていると考えられていた。そして、それぞれの王朝もこの五行のどれかの「徳(とく)」を持っているとされたんだ。 後漢王朝は「火徳」とされていた。そして、火に勝つ(あるいは火が生み出す)のは「土徳」で、土の色は「黄色」なんだ。だから、張角たちは「火徳の後漢は終わり、土徳の新しい黄色い世が来る!」という意味を込めて、黄色い頭巾をかぶったと言われているよ。

There's a reason why the Yellow Turbans used "yellow" as their mark. In the ancient Chinese philosophy of "Wuxing" (Five Elements), it was believed that all things in the world are composed of five elements: Wood, Fire, Earth, Metal, and Water. Each dynasty was also considered to possess the "virtue" of one of these elements. The Later Han Dynasty was associated with "Fire Virtue." According to the cycle, "Earth Virtue" overcomes (or is produced by) Fire, and the color of Earth is "yellow." Therefore, it is said that Zhang Jue and his followers wore yellow headscarves to signify, "The Later Han of Fire Virtue is over, and a new yellow era of Earth Virtue is coming!"